2011年6月27日月曜日

Apple TVでうまく視聴できない!

GWに日本で買った(インド未発売)Apple TVだが、今までパソコンのiTunesに入っている曲をリビングのでホームシアターで週末ワイン飲みながら聴くのにしか使ってなかった。まあ8000円ちょっとでそれができるだけでも十分との思いもあり買ったというのもある。

でも一昨日ガンジーゆかりの地、僕の赴任前にオバマ米大統領が真っ先にムンバイで行ったというMani Bhavanへ行ってきたこともあり、映画「ガンジー」が見たくなりApple TVにあったので、大枚(?)300円をはたいて「レンタル」をした。ところが昨日ずーっと「読み込み中」になったまま見られず、今日もつけてみたがまた「読み込み中」。

やはりここのインターネットが遅すぎるのか!
300円をドブに捨てるかどうか、挑戦(?)は続く。

まあDVD探してくりゃエエんやけど、字幕ありが見られるんならラクかと思って・・。

2011年6月24日金曜日

J.W.Marriottで日本食ディナー

マレーシア駐在時代の友人の紹介で、友人の会社のムンバイ駐在員とディナー。向こうさんのオススメでJuhu BeachにあるJ.W. Marriottへ。前から気になってたけどまだ中にはいったことがなかったのでイイ機会でうれしい。
Spicesというアジアン・フュージョンレストランへ。何と中華料理レストランの奥に、寿司カウンターが!さらに今だけ窓から見えるビーチに難破船が浮かんでいるというオマケつき。スリランカの船が流されてきてSea Linkの橋桁にぶつかった上に今Juhu Beachをさまよっているらしい。かなりすごい絵だ。

寿司カウンターには玉那覇さんという日本人シェフが居て、寿司を握ってくれる。ネタの種類も豊富で、定番のグランドハイアットのビュッフェFifty Five Eastの寿司より上。タージ・マハルホテルの中の「Wasabi by Morimoto」よりはリーズナブルといういいポジションにある。
玉那覇さんは1ヶ月強前にパキスタンのイスラマバードから来られたらしい。どうやらオサマ殺害後かの国はピリピリしていてかなりアブナイ雰囲気で身の安全を考えて移って来られたとのこと。隣国での事件でムンバイでは今まで直接的な影響はなかったけど、そういう間接的な影響もあるんだな。

彼によると「パキスタン人がインド人を嫌っているわけがわかった。」という。聞くと先日12時ころ既にラストオーダーも終わり部屋へ戻ってくつろいでいたところへ、「どうしても寿司を握ってほしい」との客がいて呼び出されて握ったそうだ。ところが「ヘンな味がする」とイチャモンをつけられ「タダにせい」みたいな話になったらしい。何でも相当な金持ちで「シェフなど所詮使用人」という意識丸出しの超上から目線だったらしいが、「こっちは30年以上寿司握ってきて、そんなこと言われたことがない、寿司食って5年やそこらのお前に何がわかる!」とタンカを切って、結局「すまなかった」みたいなことにはなったらしい。
パキスタン人はムスリムで貧富の差はあるとは言え、そこまで上下関係を言わないようで、インド人の階級意識とその大きな態度がかなり頭に来られたようだ。そのあたりはインドの根深い部分だと言えるだろう。

ここでは他に鉄板焼きもあるし、メニューにはないが、うどん(関西風ではない)も作ってもらえる。もちろん安くはないが、日本人シェフの味が食べられる貴重な場所である。

ホテル自体も砂浜からなるビーチにjavascript:void(0)面していてプールもあり、かなりリゾート気分が高い感じ。一度は家族と泊まってみたい場所だ。

すっかりいい気分で食べて飲んであっという間に3時間が過ぎて楽しい夜を過ごすことができた。

2011年6月19日日曜日

書籍「南アジア社会を学ぶ人のために」

NHKが放映したNHKスペシャルを元に編集した「インドの衝撃 (文春文庫)」を初めとして、インドの急速な経済成長を書いた本は多い。
-->NHKスペシャル動画

しかしこの国へ来てみると、よくわからないこと= 人に仕える仕事をする人との接し方、ほとんどみんながお見合い結婚、意外と転勤を厭わない、etc が多くあり、それらの背景が何か?と疑問を持つと、この国の文化、宗教、歴史などについて多少は理解しないと、わかってこないのである。

そういう中、入門書として役に立つのがこの本。様々な社会制度、宗教などについて事例を持って紹介してくれていて基本的な理解の助けになる。

・南アジアの人びとーー個と集団
・南アジアの社会ーー信仰・権力・富
・南アジアのポストコロニアル状況
・グローバリゼーションのなかの南アジア

多数の研究者がこれらの章の中の各節の執筆を担当しており、広く基本的な理解をするのに役立つ。
さらに深く調べたい時のも、それらの節の執筆した人の著書などが参考図書として「基本文献リスト」として巻末に記述してあり便利。

これを読んだからといってインドがわかるようになるわけではないけれど、「あっ、このことの背景にはあの考え方があるのかもしれない」、とか「彼らのこの行動の基本原則はこれに乗っ取っているんだろう」など、観察しつつ推測を張り巡らせるのには助けになる。
インドに駐在される方、されているけれどまだ読んでおられない方、ぜひ一読をお勧めします。

2011年6月18日土曜日

Hard Rock Cafe Mumbaiはなかなか使える

会社の同期で、インドを担当して出張ベースでムンバイによく来ている友人と食事に、Hard Rock Cafeへ行った。

ボクは早めに着いて7時過ぎだったがインドではまだ夕食には早すぎる時間でガラガラ。彼を待ちながらトルティーヤとビール、マルガリータで始める。8時半ころ彼到着。まだ席は一杯というほとではない。

色々話をして気づくと10時過ぎ。従業員が高いステージにあがり、YMCAを踊り出す。その後もスリラーを踊ったり、Hard Rock Cafeの従業員はイロイロ楽しませてくれる。


周りを見るとスッカリ人でいっぱい。西洋人も結構いて、中国系も1グループ、だが6−7割はインド人。ホテルに比べるとリーズナブルとはいえインド人にとってはかなり高いと思うのだが、若い学生風のグループも居る。金を持っている家の子達なのだろう。

ここの売りはインドでは珍しいビーフバーガーなのだが、前回食べたので今回はヒレステーキをいただく。なかなかうまいしリーズナブル。

前回来たときに買おうかどうか迷った、The WhoのPete Townsendサイン入りTシャツを思わず買ってしまった。

2011年6月17日金曜日

シニアマネージャーの送別会

シニアマネージャーの一人が辞めることになって、送別会を会社の隣のホテルで行った。

最初スタート時は送る人の挨拶、彼の部下がヒンディー語で詩を読んだのはビックリした。そういう文化があるようだし、おそらくそういう才能があることを見せる場にもなっているのだろう。ひと通り挨拶が終わると食事スタート。

宴会場を借りて立食式のパーティーなのだが、フロアはどっちかというとダンスフロアとして確保してある感じ。スタートすると、”食べる”というよりも皆”飲み”に走る感じで、ビールを飲んでいる人は一部、大抵はウォッカやジン、ラムなどをコーラやソーダ、ジュースなどで割って飲む。アルコール度高めで一気に酔う感じ。

回ってくるとインド音楽に合わせダンスが始まる。前回各地から集まった時と比べるとほぼムンバイのメンバーばかりで気心知れているからか、恥ずかしがって踊らないメンバーはほとんどない。ボクも一緒になって踊ったおかげで、かなり筋肉痛になってしまった・・・・。

2011年6月11日土曜日

ル・コルビュジエが都市計画をまとめたチャンディーガルへ

金曜日までのデリー出張にくっつけて、土曜日にデリーからチャンディーガルを往復。4月にも計画していたが飛行機が欠航となり断念していたのを、もう一度計画し実現。でもモンスーンシーズン前の一番暑い時期で、いやー暑かった。

往復なのでデリー空港でコインロッカーみたいに荷物を預かるところを探したがどこもなし。仕方なく機内へ持込チャンディーガル空港でも探すが一緒。インドはなかなか荷物を預かってくれるところがなく不便だ。仕方ないので夕方までクルマを借りることにしてクルマに大きな荷物を置いたまま街を回ることにする。

案内の参考は神谷武夫さんのホームページ。この人はインドの建築をすごく研究されていて参考になる。思わず著書をOCSに発注してしまった。

”ホンダシティ8時間2100ルピー”という業者の案内に、「もっと安いクルマは?」と探して結果TATA Indica8時間1050ルピーで決着。一人だしそんな距離乗るわけでもないのでこれで十分。

ドライバーさんにまずはセクター1の議場棟、行政事務棟、高等裁判所へ行ってもらう。もっと都会的な場所を想像していたが、原っぱの周りに建物がポツンポツンとある感じ。意外。

オープンハンドの彫刻は想像していたよりずっとでっかくってビックリ。こんな大きなのが風で動くの?? でも複雑なインドをひとつの手にして国家としてやっていこう、って感じがする。


議事棟方面へ歩いて行くと、ガードマンが「どこへいく?」と案の定声をかけてきた。「建物を見たい」というと「OK」と入れてくれたので取りあえず歩いて近づいていく。これも近くで見るとエライでかい。機能的で直線的な造形にアクセント的に屋根のカーブやその上の給水塔(?)が乗って面白いカタチになっている。前に水が張ってあってその向こうに建物が見えているのが何か谷口吉生の豊田市美術館を思い出させる。行政事務棟はさらにでかく、これも機能的な造形にアクセントが入った感じ。コンクリート打ちっぱなしと言い、この感じって安藤忠雄の兵庫県立こどもの館とか淡路夢舞台とかに何かつながってるよな、って思う。

ダメもとで「中へ入れないか?」聞いたが、「第2土曜日(役所は休みの日)だから」とか何とかで入れてはくれなかった。「カメラも禁止だ」を言われ思うように撮影もできない。ここまで来たのに、と思いつつも仕方がない。仮想敵国である隣国パキスタンと接しているパンジャーブ州は神経質なのだろう。



高等裁判所に戻り外観の写真を取りながら近づいていく。これも「入れないか?」聞くと「ここからはダメ、反対側へ回れ」とのこと。

まああまり期待はせず反対側へ回ったがやはり入れなかった。ここまではかなりの興奮状態であまり疲れは感じなかったが、持っていた水はどんどん減っていく。


次にすぐ先にあるロックガーデンまでクルマにわずかに乗って行く。「個人が作った庭」という情報だったので、それほど大きくはないと思ってたけどひと通り回るのにたっぷり1時間はかかる巨大な場所だった。ここはネック チャンドという人が都市建設で出た廃材などを集めて作った場所らしいが、なんかもうちょっと普通じゃない、アーティストの魂が感じられて意外なほど良かった。例えるなら”ガウディ+ニキ・ド・サンファル+日本庭園”と言った感じ。自分の表現したいことがすごくありながらも自然との調和は忘れていない、東洋的な文化を持ちつつ天才が作ってしまった、という感じだ。ここはここでMust Visit Place。


予想以上に時間と体力を使ってしまったので、セクター10にある美術館へ向かう。そこには外壁の色こそ違うが、日本の国立西洋美術館に酷似した建物が。そしてそのとなりには都市計画の歴史について説明している施設City Museumもあった。(これもコルビュジェ建築だった) 少し休憩がてらまずは最上階にあるカフェテリアで昼食にする。「Noodle」を頼んだらほぼ日本の焼きそば(塩味)そのものでなかなかイケる。一息ついてCity Museumへ。木の植え方までデザインしていることを知り驚いた。



美術館は中の2Fへ上がっていくところなど含め、建物は西洋美術館そのもの。だけど展示物はインドの物というのがなんか面白い。西洋美術館の中に仏像とかヒンズー教の神様が並んでいる。ただどの建物もそうだけどメンテナンスが行き届いているとは言えず、これはインドどこでも同じだがせっかくの近代建築の重要な財産なのだから大切にして欲しいものだ。



隣のアートスクールの周りもグルッと回って、セクター14のパンジャブ大学へ。ピエール・ジャンヌレという人が設計したガンディー・バワンを見る。曲線も多く、直線基調が多いチャンディーガルの中では異質か?


そろそろ時間がなくなってきたので空港へ向かうことにする。しかし街はかなりでかい。もっと小じんまりとした都市を設計したのかと思っていたが、今日ほんの一部しか回れなかったところからもその大きさがわかる。

暑さにかなりバテてしまったが来て良かった。今度来ることがあればもう少し涼しい季節(10月以降?)で一泊してみても良いかもしれない。

写真

2011年6月9日木曜日

デリーのケバブロールがおいしい

デリー出張で泊まったホテルの周辺で食べたケバブロール。


グルグル回して焼いた肉を包丁で叩くように切ってミンチ状にして野菜とスパイスを混ぜて、クルクルって小麦粉でできた皮に巻いたもの。スパイシーでおいしい。

ムンバイよりこういうものは絶対美味しい気がする。中東から来た食べ物だから、イスラム国・ムガル帝国だったデリーのほうが本場でおいしいのだろうか?

食べながらこいつがもっと東に伝わって、「巻く」から「包む」に変わって餃子に変形したのでは?と感じていました。

2011年6月8日水曜日

インド式シャワートイレ


インドにはシャワートイレがあって、なかなか快適。

と言っても、日本のようにオートマチックではなく、あくまでマニュアル式。
要は自分でシャワーノズルを持っておしりを洗うってこと。
温水も出なくて水だけど、元々暑いところだからそれで十分。
慣れると、たまについてないトイレだとがっかり。

マレーシア駐在時代、オフィスのビルなど不特定多数が使う場所で、最初は自分でシャワーを持つのがイヤで使えなかったのだが、高級リゾートホテルTanjon Jaraで一度使ってみたら病みつきになった。
でオーナーに頼んでアパートにもつけてもらったのだった。

インドのトイレもピンきりがかなりあるが、水洗トイレがあるところでは大抵シャワーが付いているのでありがたい。しかもマレーシアよりもペーパー付きの確率も高い。案外トイレは快適なのである。

2011年6月6日月曜日

3日間止まったインターネットが動き出した

金曜日の大雨の夜に止まったインターネット。土曜日も日曜日も業者に電話すると「エンジニアを送る」と言うのだが、来ない。
結局月曜日にまた電話して対応させて、夜帰宅するとようやくつながっていた。まあ毎度のことだが、いちいち追いかけなければならないのがメンドくさい。

2011年6月4日土曜日

カンヘーリ石窟群(Kanheri Caves)

モンスーンシーズンに入った初めての土曜日の朝、ムンバイの北方にあるカンヘーリ石窟群へ行ってみた。家を出て40分くらい走ったところでSanjay Gandhi National Parkの入り口へ。INR70を払って中に入る。

ドライバーさんはここのすぐ近くで育ったらしく、自転車で良く遊びに来ていたようだ。そんな彼の勧めで石窟群を見る前に、虎やライオンのいるサファリを先に見ることにする。INR30でチケットを買ってバスへ。家族連れで賑わうバスに乗り込み出発。しばらくいくとケージがあって中に入る。ここからがサファリということらしい。ところがなかなか虎は居ず、やってきたのが檻の中居る虎。「うん?これがサファリ?」と疑問を持ちつつ、しばらく見ているとバスが動き出し、ライオンのケージへ。ここではちゃんとライオンがバスのそばに寝そべっていてそれなりに見ることはできた。
後で聞くと虎やライオンに襲われることがけっこうあるらしく、安全のためにこうなったようだ。ちょっと消化不良な感じでサファリを後にして石窟群へ向かう。


10分ほど奥へクルマを走らせて駐車場へ。外国人向け入場料INR100を払って中に入る。すぐ右手に岩に彫刻がされているのが見えてくる。そしてNo.3の石窟は圧巻。巨大な岩を彫って作った仏教寺院である。奥にストゥーパがあり柱には様々な彫刻がなされており素晴らしい。じっくりと見て隣のNo.4の小さいながらも仏像が多く彫られているのを見ていると、おじさんがやってきて色々説明をしてくれる。どうやらガイドらしい。いくらか聞くと「INR350」とのこと。ちょっと値切って「INR300」で合意した。おじさんは早速ここが9世紀の遺跡であることなどを語り始めた。

ガイドのおじさんは先を進めて、100以上ある石窟のうちポイントとなるNo.11,No.34,No.89,90,No.67を案内して歩いてくれた。最初のNo.11は当時の大学にあたる。数百人がこの中で学んだらしい。

そしてハイライトと言えるのが89と90の対になった石窟。ここの彫刻も素晴らしいが、何と90の入り口に「南無阿弥陀仏」の文字が。どうやら中国の僧がここ天竺まできて修行をしていたようだ。
最後のハイライトである100のブッダのある67を見てひと通りを見終えた。それにしても圧巻である。
正直ボクは世界遺産になっている、エレファンタ島よりも素晴らしいと思った。


気づくとお昼をかなり回っている。まだ雨には降られていないので駐車場へ降りて、腹ごなしに途中で見たショッピングモールへ行ってもらうことにした。しかし予想以上に素晴らしく充実した日となった。

写真

2011年6月3日金曜日

モンスーンシーズン(雨季)に入った


6月2日、ムンバイへ来て初めての雨を見る。いよいよモンスーンシーズン(雨季)の始まりだ。この日はちょうど7時前に帰宅したあとだったので、そう影響はなかったが近所のスーパーに行くのは取りやめた。衛星放送TATA SKYが見られなくなった。これは日本で大雨だとスカパーが見られないのと同じことだろう。

翌日6月3日は夜8時ころまで残業したのがいけなかった。昨日よりやや遅くだが8時15分か20分ころから雨が降り始め、大雨となった。
道路は5-10cm水が溜まってオートリキシャーの一部はエンストで立ち往生。バイクはガード下で雨宿り。ボクは1時間半くらい大渋滞の中を帰ってきた。やれやれ。でもまだシーズン始めのこの程度は大したことないようだ。水没して死なないだけましと思わなければ・・。

2011年6月2日木曜日

iPhone3GSがようやくフル機能

試行錯誤の末、今まで通話とSMSしかできなかったiPhone3GSがようやくフル機能使えるようになった。VodafoneのiPhone用プランをどうやれば選べるのかがなかなかわからなかったけど、「ACT idata699」とVodafoneにSMSをしてActivateに成功したらしい。これがみつからなくてBlackbery用の設定をしたり色々やったけど、やっとスマートフォンとして使える!(^^) 長い道のりだった・・・。

2011年6月1日水曜日

ようやくiPhone4インド発売。1年遅れくらいか?

今朝会社に行く高速道路で、AIRCELがiPhone4の広告の看板を出しているのを見た。
今までインドはiPhone 3GSしか発売されていなかったが、ようやく発売されたようだ。
1年位遅くないか!?なぜかiPAD2より後というのもおかしい。
他のApple機器はそれほど発売が遅れることもないけど、電話についてはどこの電話会社とどういうタイミングで投入するかの合意が難しいのだろうか?