2012年6月7日木曜日

ifttt / Put the internet to work for you. あっちとこっちと、色々リンクが設定できそう。色々ためしてみるかな。 http://ifttt.com





あっちとこっちと、色々リンクが設定できそう。色々ためしてみるかな。 http://ifttt.com http://ifttt.com/



2012年2月14日火曜日

アメブロへ集約することにしました。

アメブロにインポート成功したようです。
今後アメブロに集約していこうと思います。

お越しくださった方、アメブロへ訪問いただきますようよろしくお願いいたします。
http://ameblo.jp/mumbaijapanese/

2012年2月9日木曜日

ムンバイで、初めて病院のお世話に

月曜日の夜、どうも調子悪く気になったので熱を測ったら37.6℃。とにかくとっとと寝た。で起きて測ると38.1℃。「けっこう良く眠ったのに、しかも普通は体温低めの朝なのに」と、これはいよいよ病院へ行かなければならない事態だと悟り、家から近く評判も良い、大きな私立病院Lilavati Hospitalへ。

さて行ってみると、まず入り口はホテルやショッピングモールと同じでセキュリティチェック。そんで受付で「熱があるので診てもらいたい」と言うと、「外来の受付へ」とのこと。ウロウロしつつ「Out Patient's Department」とやらを見つけ、そこで聞くと「アポはあるか?」「ない」「初めてか?」「初めて」「じゃあDr.◯◯で良いですね?」「はい」とのやりとりの後「隣も窓口に並べ」とのこと。「はあ???」とよくわからず、またその隣の会計窓口で「Dr.◯◯に診て欲しい」と告げると、「初めてだったらこちらへ記入してください」とのこと。診察券を作るってことらしい。
で記入して提出すると、いきなり850ルピーかかった。診察券代50と初診料800。
ドクターの場所がわからず扉まで連れて行ってもらってそこの椅子にかけて待つ。

待つこと3−40分、ドクターに呼ばれて診察。熱の出た経過、せきが出ることなどを告げ、聴診器や血圧、体重を計る。「何で体重?」とは思ったけど、体重の5%水を飲まなならんそうだ。
「日本で流行っているから、インフルエンザの可能性がある、またデング熱やマラリアでないかも心配だ」と言うと、「なら調べましょう」とのことで、血液検査とX線検査をすることに。
で「明後日また来てください」ということでドクターの部屋を後にする。

さて、検査かと思って、場所がわからずウロウロしながら、検査の窓口にたどり着く。そこでもまずは支払いから。何事も先払いなのね。まあ逃げられなくって良いか。1450ルピーを支払い、またウロウロしつつ血液検査の部屋へ。
注射はまあフツーで、フツーにチクリとして、フツーに終わった。
X線の部屋もまたウロウロ、聞きながら聞きながらしてたどり着く。どこに書類を提出していいやらわからず、人の居る所で見せるとどうやら受け付けてくれたらしい。15−20分くらい待ったか、呼ばれて中に入ると島津製作所製のレントゲンが。おー、なかなか素晴らしい。これを見ると何か「信頼できる病院かも」と思ってしまう。
胸のレントゲンを取った後、頭部も。健康診断では撮られない場所なので不慣れだ。口を開けて押し付けるがしんどい。撮影後一旦外に出たが、写りが悪かったらしく頭部を撮り直し。ようやく終わった。

で最後が薬局。外部でも良いのかもしれないが、病院内に薬局があったので間違いないだろうと思い、そこに並ぶ。と言ってもきちんと並ばないので順番を抜かれているような気もしつつ、でも「はい次」って感じで処方箋をもらってくれて、薬が出た。643ルピー。

さて、帰ってから疲れたのか、何か横になりたい感じで、ベッドに横たわり体温を測ると、おっと39.1℃。39℃超えは小学生のときの麻疹以来か。気づくと1−1.5時間ほど眠っていた。

その夜は、さすがに熱が高いせいか、眠ってもすぐ起きて、水分を取っての繰り返しで、なんだか眠れたんだか眠れなかったのかわからん状態で水曜日を迎えた。
起きた頃は38.6℃、そのあとは解熱剤が効きだしたのか、37℃代へ下がってきた。

検査結果を聞く木曜日になった。昨夜は一度目が覚めたが一昨夜に比べるとけっこう眠れた。
朝電話でアポを取ってから、指定の11時の15分ほど前に着くように病院に行って、前回の要領で外来の支払い、窓口で「ドクター◯◯にアポを取っています」と告げ、部屋の前で待つ。まだ1組しかいないらしくけっこう早いかもと思っていたが、前の患者がぜんぜん出てこない。で11時を10分ほど過ぎた頃にドクターがやってきて、部屋のポストらしきものの紙を回収してから名前を呼んだ。「うん?」どうやら、支払いでもらった書類をポストに提出しないといけなかったらしい。2番目くらいと思っていた順番は4番目で、病院に着いてから1時間ほどかかってしまった。しかもドクター、11時からアポ受け付けてんのに、出勤11時10分くらいでっせ。まあインドならフツーか。

簡単に問診と聴診器の後、「検査結果のレポートは?」と聞かれて「はあ?」。どうやら自分でもらってこないといけないらしい。データをドクターに集めるような仕組みにはなってないのね。
さて、レポートの受取場所がまたわからず、ウロウロして受付で聞いて見つけ、ようやく血液検査結果受け取ると、「X線はあっちへ行ってね」と。またもウロウロして、「そうか一昨日のX線検査の受付か」と気づき書類を渡す。それからレポートを書いているらしく、15−20分ほど待つ。ようやく受け取りまたドクターの部屋へ。

さて御宣託は、と聞くと「Nasal Infection」だって。何それ?「I don't understand」と言いながら、もうちょっと説明してもらいつつ、電子辞書を取り出し単語を調べる。直接の訳が無いのでわからんがどうも「鼻の感染症」みたいな意味だ。
「汚れた空気とかそういうのが原因ってこと?」って聞くと、「そうだ」。「インフルエンザだと移すといけないので会社には行ってなかったが、会社に行っても良いか?」「問題ない」とのこと。
うーん、何かもうひとつ納得行かないというか、どうしてもインフルエンザだと思ってしまうのだが、まあとにかくデング熱やマラリアでなくて良かった。

日本でもそうかもしれないが、大病院というのは役割分担がされていて、 それぞれどこへ行かないといけないかがなかなかわからないし、システムがどうなっているかわからず、何を先にする(診察?支払い?)かもパッとはわからずややこしかった。相当ウロウロさせてもらいましたがな。
更に日本的感覚では検査結果はドクターに届けられていて、行ったらそれを元にドクターが「あなたの病気はね・・」と始まるかと思ったが、自分で集めた回らないといけないとは思わなかった。

インドらしく、Jobの分担が細かくなされて、かつお互い領分に踏み込まない、そういう感じの病院の運営である。正直初めてだと戸惑うことが大きかった。一度わかってしまうと次からは要領を得るとは思うが。
 

2012年2月6日月曜日

ノートパソコンを紛失・・・、でもあった!

デリーからの帰り、ムンバイ空港へ着いて荷物をひょいっと持ったら、何か軽い。
うん?と思ってカバンの中を見ると、ノートパソコンがない!
「ありゃー」と 思って思い出すと、さっきまで居たラウンジで、最後ちょっと家族とiPADでFacetimeをして、そのままノートパソコンをデスクの上に置いたまま出てきてしまったらしい。
とにかく、ラウンジの番号をiPhoneでせっせと調べて、何とか番号がわかった。「さっきまでおたくのラウンジ使ってたんだけど、ノートパソコンを忘れた。残ってない?」と聞くと「ある」とのこと。メーカ名なども合っているし、裏に前にムンバイの空港で貼らされた名前を書いたステッカーも貼ってある。 とりあえず現物は確認できた。
詳細はメールを送ってくれ、と電話に出た女声の上司のメールアドレスを聞いておいた。

さて、どうやって持ってくるか。明日日曜日だしデリーまで往復するか?
考えてみると月曜日のトレーニング・会議でデリーから出張で何人か来る。彼らに頼もう。
一人に電話したところ何回かかけてつながった。内容を話してお願いをしたところ、「OK」との返事。助かった。
家に帰って確認すると、帰宅途中にiPadから打ったメールに早速ラウンジから返信メールが入っていて携帯番号もある。

結局翌日、同僚が「今ラウンジに来たけど、確認のためにラウンジの上司に電話して」と言ってきて、電話して「今取りに来たから渡して」と頼んで、結局彼がノートパソコンを引き取ってくれた。やれやれ、助かった。

で月曜日、彼が会議室でノートパソコンを渡してくれて一件落着。ふーっ。やれやれ。

空港のラウンジという特殊な、インド社会の中の上以上の人しか居ない場所で、誰も盗る人がいなくて、またラウンジの職員も変な人でなくて、助かった。
でもインドは案外、東南アジアよりこういうことでの窃盗は少ないように思う。宗教的にモラルがあるのだろうか?

2012年2月5日日曜日

まだ未完成(?)だけど楽しみなPhoneix Market Mall Mumbai

今までもムンバイでイチバンのショッピングモールといえばHigh Street Phoneixだったが、そのPhoneixがムンバイで2つめのモールをオープンしたらしいので行ってきた。
Phoneix Market City Mumbaiという名前で、Kurla Westにある。

建物に近づくとかなり巨大なことがわかる。
中に入るとなかなか良い感じ。ZARAがOpening Soonになっている。ちょっと歩くとそこら中、内装工事中の店舗やらOpening Soonやら、まだ未定やら、せいぜい3ー40%くらいの営業率か?これでモールとしてオープンしてしまうのだから、まあテキトーだよな。
でも入っている店舗は、超高級ではないけれど、そこそこのファッションブランドショップ ー ベネトンとかCKジーンズとかMango ー、そしてデパート ー Pantaloonなどのローカルデパートだけでなく英国系のDebnhamも ー、スポーツブランドショップ、いずれはRelianceのハイパーマートなども出来るので、そうなったらなかなか使えそう。

場所もオフィスからもそう遠くなく、アパートからも20-25分くらい。悪くない。
数ヶ月経ってもう少し店が開いた頃にまた偵察に行ってみよう。

2012年1月29日日曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第4日-ガンガーの日の出とサラーナス

5時半にホテルを出て昨日空港へ迎えに来てくれたドライバーの運転でガンガーへ。車中色々話をしたが、ドライバーの主な副収入は土産屋からのコミッションで通常5%、米人はカネ払いがいいから10%が相場らしい。あとアーユルヴェーダは20%と高いコミッションをくれるとのこと。観光の際などに土産屋に寄らないと不機嫌になるドライバーへ、時間節約のために土産屋をスキップさせてチップを決める際に参考になりそうなTIPSである。

ガンガーに着くと意外なくらい人が少ない。もっと多くの人がみんな沐浴しているかと思ったが・・。でもおじさんおばさんが数人沐浴しているので撮影をしてから、用意されたボートへ。
ホテル手配のえらい高いボート(1時間450ルピー、たぶん相場は150-200ルピーくらい)だったが、僕一人だけの貸切だったので気分良くスタート。
どうやらスタート地点は端のほうのガートだったようで、北上するにつれにぎやかになってくる。ガートと街灯が川面に揺れてなかなか情緒のある風景だ。メインのガート付近からボートに乗る人も多いらしく川の上にもボートがいっぱいになってきた。焼き場のちょっと先まで行ってもらって引き返す。帰りのほうがガートに近い場所を通る。焼き場のそばで女の子2人がボートを漕いでいると思うと「Candle?」と聞いてきた。商売か、全くたくましい。

「いらない」と放っておいて先を行く。確かに気づくと川面にロウソクが浮かんでいてこれもまたなかなかきれいだ。徐々に東の空が明るくなってくる。メインのガートに近づくと多くの人が居るが思ったほど川に入っている人は多くない。案外こんなものかな。でも一部でクロールをしたりかなり沖まで泳いだり、やたらと元気な一団も居たり、日本人らしき若者2人が寒そうに川に入っていったり、眺めているのはなかなか面白い。

そうこうするうちに東の空にぽっかりお日様が現れた。ガンガーに浮かぶ東から昇ってくる太陽。それはやはりどこか神々しい。これを崇拝したい気持ちは理解しうるものだ。日本も元来太陽信仰だということからすると共通する感覚を持っているのかもしれない。
だんだんと乗った場所へ近づいていく。お日様の前をボートが行き交い、向こう岸は砂の岸になっており雰囲気があり飽きない。元に乗ったガートへ到着するがそこで沐浴する人やガンガーの風景をもう少し撮って引き上げる。

ホテルへ戻る途中ドライバーさんが少々自慢げにヴァラナシ大学を案内してくれたので素直に着いていった。65もの専攻と33,000の学生がいるという巨大大学である。トップクラスの大学のひとつであるらしいことは理解できた。

ホテルで朝食を取って、そのあとサラーナスへ寄ってから空港へ行くという話をして、チェックアウトの支払いをして車を待つ。ところがいつまでたっても全然来ない。最初「10時」と言っていて、「11時になります」と言ってきて、結局12時になってようやく来た。なんでこのしょぼいホテルで4時間も過ごさないとあかんねん!全く時間を無駄にしてくれる・・。

腹立ちを抑えきれないままサラーナスへ向かう。途中ちょっと渋滞していた箇所もあり、実際に使えた時間は30分強。ここはブッダがボードガヤで悟りを開いた後に、初めて説法をしたという場所で 仏教4台聖地に数えられるらしい。大きなストゥーパがあるのでそこへ向かうと、韓国人とすれ違う。チベット系の人も多くいるし、タイ語らしき声も聞こえてくる。さまざまな仏教国から人が訪れている感じがわかる。ストゥーパ以外は土台だけが残る遺跡のような場所だが、木などに雰囲気があり、2000年以上前のことが想像できる場所だ。本当なら大昔に想いを馳せながらゆっくり過ごした居場所だが何しろ時間がない、次に博物館へ向かう。2-5世紀くらいのブッダ像を中心とした彫刻が展示されている。
ガンダーラ美術よりはもうちょっとインド化が進んだ感じだが、日本の仏像ほどはふっくらとせず、ほっそりしてなかなか男前。ここもゆっくりひとつひとつ鑑賞したい場所だが、10分で通過し、最後にお寺へ。
ここも各国の信者たちが訪れている。作りが石であってもちゃんと鐘があり仏像があると、お寺らしい雰囲気だ。内部はブッダの一生を描いた壁画が飾っているが、戦前に日本の画家が描いたものらしい。こういうインドと日本のつながり方もしているんだな。
サラーナスは半日くらいかけていても良いような場所だったが、残念ながらフライトまでの時間がなくなってきた。クルマに戻りドライバーに空港へ急いでもらう。これで今回の旅は終わりだ。

でもせっかくだからと寄ったヴァラナシ、案外悪くなかったな。ガンガーの風景とガート、そこへ至る入り組んだ道は旅人を寄せ付ける何かがあるのだろう。時間があれば、ひたすら入り組んだ道をあっちへいったりこっちへいったりしてみたくなる気持ちが僕にもあった。ムンバイからの交通の便的にまた来るかどうかはわからないけど、来ることがあればまたウロウロしてみるのは悪くない。

2012年1月28日土曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第3日-ナショナルパークでのサファリとヴァラナシへ

今日は事前には全然知らなかったパンナナショナルパークへ行くことにした。運がよければトラも見られるとのこと。5時半にホテルを出発して30分強でナショナルパークの受付へ。そこでチャイを入れてもらいホテルから持参の朝食弁当、マサラ・オムレツ・サンドイッチを食べる。

朝食後いよいよサファリへ。ここまで来たマヒンドラの4駆(ジープ)の後部の幌をはずしてオープンにしそこに座った。さすがにまだ寒い。しばらく行くと、鹿がいた。その先にも別の種類の鹿、その後野生の犬という風情のジャッカルなども。ただトラが水のみに来るという場所には残念ながら姿なし。結局2時間ほどでクジャク、ワニ、猿、イノシシ、タカなど色々な動物の自然の生態を見ることができた。

ただハイライトとなるトラが見られなかったこと、群れがサルを除いてはそれほど多くなく、せいぜい一家族といった規模でいるという点で、ザンビアなどアフリカのサファリと比べて迫力と「うわー」というすごさ、例えば像の群れやカバの群れを見たときのような感じはなかった。

ホテルに戻ってシャワーを浴びた後空港へ。清算するに当たり色々手配してくれた旅行会社のお兄ちゃんに「ちゃんと請求書・領収書を書いて」と言うと用意していなかったらしく、慌てて空港の駐車場で誰か知り合いの帳票をもらってきて書いてくれた。「この調子だとひょっとしたら法外な価格を言ってくるか」と思ったが、そんなことは別になく、請求額はリストの価格を足し合わせたもの、5000ルピーだった。まあリスト価格が元々インドにしてはかなり高い価格に設定されているのでこれだけ渡せば十分だろう。

チェックイン後に何か食べようかと思ったが、売店のスナックしかなく仕方がなく「Oreoとコーヒー」と頼むと「300ルピー」だと。おいおい空港が高いとはいえそれはないだろうと「Too Expensive!」と言うと「OREOは米製のだ」という。「そんなもんいらん、インド製を出せ」と言ったらBritaniaのビスケットを出してきたので「それで言い」と言ったが、今度は250ルピー。おいおい、ふざけるなと思って交渉した結果結局150ルピーに、それでも通常の街のレストランのランチ並みなので十分高いが「まあ空港だから街中より高いのは仕方がない」と許してやった。

ヴァラナシではホテルがまったく取れず、ぜったいこのホテルでこの価格はありえないというホテルを取っていた。迎えに来たドライバーに聞くとどうやら医学の学会があるらしく市内のホテルと言うホテルはすべて満室だそうだ。いやー、やられた。
ホテルに着いてみると想像通りで、風呂トイレ共同のしょぼいホテル。まあでもヴァラナシ経由でカジュラホーまで行って、全くヴァラナシでガンガーを見ないというのも何なので、せめてガンガーだけは見ていこうと一時下車(下機?)したのだ。

荷物を置いて、怪しいのでパソコン他はスーツケースに入れて鍵をかけて出かけた。呼んでくれたオートリキシャも駐車場で待っててくれるとは言え良い値段だ。街がみんなで寄ってたかって旅行者から巻き上げている。まあ有名な観光地なんてそんなものか。
リキシャに下ろされた駐車場で「ボート」とおっさんが早速寄ってきてふりほどいたは良いがいったいどっちへでたらガンガーなのかさっぱりわからない。またなんでかiPhoneの調子が悪くGoogle Mapが全然表示されない。何となく「こっちかなー」とカンで進みつつあると、話しかけてきたおっさんが居て自分もガンガーへ行くというからついていった。そのうち後で「店を見に来い」というので「ははーん」と思いつつ、まあ多少買うくらいは良いかと思ってついていったらいきなり焼き場に連れていきやがった。で別の奴が出てきて話を聞いているうちに「ホスピスが隣だから見に来い」とか言う。「うん?これって地球の歩き方に書いてあったカネ巻き上げるやつ」と思ったので、振りほどきもうちょっとそばで焼き場を眺める。もっと体を焚き火で焼くような感じかと思っていたが、ちゃんと遺体は布でくるまれていて、薪とは言えうまく燃えるように色々な油を使っていて、焼けるのに3-4時間とちょっと長くかかるようだが、途中も姿がはっきりわかって生焼けということもなく、見た目は普通の火葬場で焼いているのとそうかわらない感じだった。
なんかもっとショックを受けるような場所を想像していたが、「まあこんなもんか」という感じ。むしろ名古屋の八事のほうが焼く温度が低いのか時間が短いのか、あるお葬式の時は骨がそのまま残りすぎていて個人的にはショッキングだった。

その後、おつきあいで彼の店へ付いていって、そんなに押し売りされるでもなく、でもまあつきあいで男性でも使えそうなシルクの小さいスカーフを1200ルピーから600ルピーに負けさせて買った。
その後またガンガーへ連れて行ってくれるかと思ったら、用が終わったら「ほかの人のところは行かなければならなくなった」とか言ってさっさと行きやがった。まあ一緒にいても鬱陶しいのであえて引きとめもしなかったが。

ガンガーはちょうど夜6時半を過ぎてPUJA(儀式)の時間。何ヶ所ものガートでPUJAをやっている。PUJAそのものは在庫センターの開所式とかで自分でもやっているので、やり方が違うとはいえ、まあでもそれほど面白いものでもなく、さーっとみて通り過ぎた。夕方だからか沐浴する人も誰もいない。これは明日の朝もう一度来て、見てみなくては、ガンガー自体の雰囲気は多少見たとはいえ、ガンガーを見たという感じがしなさすぎ。
ということでホテルに帰ってから明日早朝もう一度来ることとボートに乗ることを約束して手配してもらうことにした。