2011年8月31日水曜日

インドの信州、ラダック地方を旅する-その1

インドの辺境、中国、パキスタン国境に近いLehへやってきた。ここはチベット族が多く、ゴンパというチベット仏教のお寺が多くあるラダック地方の中心地。標高約3500mというから北アルプス、南アルプスより遥かに高い。
こんなところに空港を作ってA320がちゃんと着陸するのだからすごい。空港から周りは5000-7000m級の山が連なっている。高山の中に降り立った感じ。
外国人はここへ来たことを登録するルールがあるらしく、空港で登録手続きを済ませる。
タクシーを見つけホテルまで130ルピーとのこと。乗ってみるとそんなに遠くなく結構高く感じる。オートリキシャの物価感覚からするとかなり高いらしい。でもクルマは古いマルチの軽商用車OMNYだけど。
ホテルはせいぜい2つ星(?)って感じだけど、山小屋と思えば部屋にバス・トイレがあるのは天国と思わねば。なんとなく昔泊まったマレーシアのキャメロンハイランドを思い出す。なんとなく西洋山小屋風。
さすがにいきなり3500mの高地に来たせいかなんか体がフワフワして地に付かない感じ。数時間は休むことにする。雑誌を読んだり横になったりしてランチを食べてまたゴロゴロ。
3時半頃になりようやく少し落ち着いた気がするので街へ出てみることにした。とりあえずこのホテルが現金精算とのことなのでATMへ行ってキャッシュを降ろしてくることにする。

フロントで聞くと10分ほど徒歩でも行けるというので、ぶらぶら歩き始めた。周りの高山を眺めつついくと5-6分で街っぽくなってきてしばらくするとATMはあった。が、止まっていた・・・。やはりインド。
仕方ないので街の中心部へ向かって歩いていくことにする。急ぎ足だと呼吸が苦しくなりそうなのでゆっくりと歩いていく。
15分くらい歩いただろうか、町らしくはなってきたもののATMがわからない。まあ店を除きながらぶらぶらするうちに王宮が見えてきた。

チベットのラサのポダラ宮はここをモデルにしたらしい。険しい山にそびえる王宮。こうなると行きたい気持ちを押さえられない。王宮目指して歩き始めた。
だんだん坂道が階段になり、急坂になってようやく到着。かなり足にこたえる。心臓もかなり派手に鳴っている。やはりまだ体が薄い空気に慣れていない。これって高地トレーニング?
外国人価格100ルピーを払って王宮へ入る。既に5時前なので入れてくれないかと一瞬心配したが、ゼンゼン気にせず入れてくれた。王宮から見下ろすLehの街の眺めはすばらしい。
イメージとしては北アルプスの涸沢を街にしてしまった感じ。それをちょっと上から眺めているのだから背景は5-6000m級の山々である。

かなり楽しんだのだが、王宮から見上げると更に上に城跡らしいものが、何とかは高いところに登りたがる、というわけでさらにそちらに登っていく。
しかし足が前になかなか出て行かない。重い!日本で3000m級を何度も登っているがこんなに足が重いことはなかった。体が慣れていないのと、あまりにも歩かない生活をしているせいだろう。
とにかくゆっくりゆっくり足を一歩ずつ出していく。下を見るとそれでも進捗していっているのが良くわかり励みになる。

西洋人に何人か抜かれながらも何とか着いた。どうやら城跡とTsuemo Gompaというお寺らしい。入るとお坊さんが居て中に入っても良いようだ。拝観料20ルピーを払いゴンパの中へ。
かなり大きな仏像と、壁画がありいい感じ。タイの仏像とも、中国の仏像とも違う、チベット仏教独特の顔をした仏様である。
一通り写真を撮らしてもらったあとは、床に座らせてもらって仏像を眺めて心を落ち着ける。そのうち目をつぶって先月亡くなった義父のことやら、色々考えてしまっていた。

お香の香りと、お坊さんが小さな声でお経を唱えているらしい声とで何とも心落ち着く良い空間である。
このゴンパを出るとお坊さんが上にももう一つゴンパがあると教えてくれた。そっちはもっと暗く仏像が3体あるらしいが良く見えない。そこでも暗闇で撮影をしたあと床に座ってみる。
ゴンパ、なかなか良いぞ。


城跡のほうは鍵がかかっていて中には入れないようだったので、そこを出て西洋人がたくさんいるすぐ近くのピーク(頂上)へ行って見る。確かにここだと街からもかなり高く、周りは高山に囲まれていて登山して頂上に着いた気分になれる。
しばらく頂上気分を味わってから下山。下りはそれほどしんどくもなく、足を滑らせないよう気をつけつつ降りる。登りを思えばあっという間に降りてしまった。


街行く人はチベット系、インド系、色々居てお互いに話をしたりしていて、共存している様子が伺える。ムンバイやデリーなどのほかの大都市とはゼンゼン違うインドがここにある。

夕方の良い時間になったので、夕食を取っていくことにした。せっかくなのでチベット料理でトゥクパというのにしたら、インドではとても珍しいスープ麺だった。味も野菜だしに塩スープにんにく入りという感じですごく口に合う。
なかなかこれはいけた。もっとチベットレストランがインド大都市に普及しないものだろうか?

すっかり暗くなってきてどこがタクシースタンドだかもよくわからない。ふと思いついて旅行会社にフラッと入って明日一日ゴンパを回るのにタクシーをチャーターできるか?聞いてみた。
結果、知り合いのタクシー運転手に電話して手配してくれた。そして「ちょうど帰るところだから」、とタクシースタンドまで送ってくれてホテルの行き先まで告げてくれた。うん、これは正解だった。
暗い中思ったより長い距離を走ってホテルへ到着。100ルピー。思っていたよりけっこう歩いたようだ。

さて明日はゴンパめぐりと行くか。

2011年8月25日木曜日

国際ローミングで4万円!

1週間休暇を取ってシンガポール、インドネシアで家族と過ごしているが、VodafoneからSMSが来て、電話代が20000ルピーを超えて、デポジットを超えてしまっているとのこと。仕方が無いのですぐにインターネットで支払う。データローミングをONにしたままなのがマズカッたようだ。約4万円の出費!国際データローミングはどこも高い! 1週間単位で居るならそこの国のプリペイドカードを買うのも手か?

2011年8月15日月曜日

エローラ石窟

昨日アジャンター行きのバスを待っているときにホテルの前に待っていたオートリキシャーのおじさんと話をして、エローラ石窟の行き帰りで600ルピーということで8時半にホテルに来ることになっていた。チェックアウトするときに夕方戻ってきて着替えた得たい旨を言うと1時間半部屋を使わせてくれるとのこと。さすがはTAJ。そうするとさっぱりして帰ることができる。

8時半にホテルの門まで行くとリキシャーのおじさんが居た。「エローラまで500ルピーで行って帰ってくれ」というとOKとのこと。そして街を抜けだんだん郊外へとリキシャーは走っていく。デカン高原のせいかすずしくちょうどいい。1時間近く走っただろうか、エローラ石窟に着いた。まずは番号順で見ることにしてNo.1へと向かう。No.1は何にもなくNo.2からスタート壁画はほとんど消えて見えないものの石像はかなりすごい。時間がない人はNo.10から始める人もいるらしいが、僕はNo.12までの仏教石窟を見るだけで見ごたえがあって2時間はかかってしまった。それぞれが素晴らしい。アジャンターよりも大掛かりで、石像は良い。

そのあとNo.13からがヒンズー教石窟。ハイライトのNo.16の前、14位から物売りがやってきて、「さっきあんたあとで見るって言ったよな」と来た。確かに面倒なので"Later, later"と言ったが、ちゃんと覚えていて待っているとは。そしてNo.16の手前で「上から見るといいからこっちへ来い」と誘導しつつ商品を順番に見せてくる。
「いらん、いらん」と言っていたのだが、上から見るNo.16カイラーサナータ寺院はすごい!彼が居なかったら上から見ようとは考えなかったと思う。カメラのシャッターも押してくれたので、「欲しいもんはないけど、連れてきてくれたからチップだ」と50ルピーを渡して、まだ不満そうな物売りを追い返し、皿にNo.16の周りをぐるっと回ってみた。それから下へ降りて今度は正面から寺院に入り順番に見てまわる。

それにしてもこの巨大な寺院が岩山を削って作ったものだとは。とんでもない発想である。スケールもでかい。これは一見の価値がある。

リキシャーのおじさんとの約束通りNo.16が終わり一旦リキシャーへ戻る。するとおじさんが「次はNo.21だ」と連れていってくれた。さすがに3時間くらい見て疲れていたので全部見ようと思っていたけれどここはちょっと効率良くリキシャーで行くことにした。
体のポーズを含めて表現豊かなヒンズー教石窟を楽しみ、途中滝も眺め、No.29まで見ると、こんどはジャイナ教石窟のNo.32へ。


ジャイナ教はヒンズー教と似ているが何かよりプリミティブなパワーを感じる石像が多くあった。これはこれでなかなか他では見ないもので、インドには色々な文化、宗教があると改めて実感する。


エローラを後にして、10−15分ほどリキシャーを走らせたところでランチを取る。オープンエアーの完全ローカルスタイル。虫が結構飛んでいる。
その後Aurangabad名物のヒムローという織物を見に行く。手仕事で織っている手の込んだ民芸品だ。ヒムローというよりは織りの入ったパシュミナを妻に求め、街へ降りていく。
来る途中見えた砦、ダウラターバードを見学しようとドライバーに告げてしばらく行くと、突如渋滞開始。どうも連休で人手が多く、これからエローラへ上がっていくクルマを降りてくるクルマの行き違いが狭い箇所があり混んでしまっているようだ。ここで30分以上足止めをくらい、ダウラターバードまで来てもリキシャーおじさんは「ここは混んでいる。帰りにまた渋滞に巻き込まれる」と嫌がったため、断念しビービー・カ・マクバラー、別名ミニ・タージマハルへ行くことにした。
遠目にはなかなか似ているが残念なことに工事中で足場が組んであった。ただ近くへ行くと完成度があそこまでではなく、まあ普通に作るとこうなるというのがわかる。
あらためてタージマハルの途方も無い凄さを感じる。

ホテルへ戻った後、約束通り部屋を使わせてもらってシャワーを浴び、着替えてサッパリして空港へ。これなら家へ帰って寝るだけで済む。TAJのサービスには満足。
さて明日からムンバイでの日常生活にまた戻る。

2011年8月14日日曜日

2−7世紀の仏教遺跡、世界遺産アジャンター石窟へ

Aurangabad2日目の朝、レストランに6時50分に行くと一番乗りだった。洋食中心のビュッフェが客層を感じさせる。欧米からの旅行客が多いのだろう。

昨夜予約したアジャンター石窟行のツアーバスが8:30-45に来ると聞いていたので遅れないよう、8:20くらいにロビーに行きメインゲートへ連れて行ってもらう。10分、20分。来ない。昨日聞いた電話番号にかけるが出ない。もう10分してかけたら話し中になった。これは脈ありとさらにかけるとつながった。もう少しで着くから待っていてくれとのこと。それからさらに15-20分ほどしてようやくバスが来る。やれやれ、やっぱりインド時間。

バスに乗って料金400ルピーを支払い席に着く。一番後ろの真ん中。市街地を出るとだんだん周りが畑の景色。少しガスッたような空と丘らしい高台。どこかに似ている。そうだ、信州・蓼科だ。エアコンなしのバスで風を浴びながら進んで行くが、キンキンに冷やした冷房の中よりむしろ良いかもしれない。途中小さな街のようなところからオジサンが乗って来た。何か注文聞いて回っているみたいなので食堂か弁当屋のオヤジかと思ったが、僕の所へ来て言うにはついてから乗り換えるバスと入場料の徴収らしい。いつものとおりインド人の50倍の入場料を仕方なく払う。インド物価の現地給なのだからこういうときインド人扱いしてもらいたいものだ。

もう少し行ってトイレ&軽食休憩。そこでさっきのおじさんがこれから行くアジャンター石窟の説明を始めた。このおじさん、ガイドか!なるほど。
ようやくアジャンター石窟手前の駐車場に到着。ここから電気バスに乗り換え石窟へ行く。上高地とか乗鞍みたいなもんだな。
しかし長蛇の列でなかなか進まない。連休だからだろう、これもまた上高地みたいなもんだ。しかし違うのがこいつらのマナーの無さ。一列にならんわ、順番抜かすわ、で最後バスが来ると一斉に乗ろうとして半ばパニック状態。おいおい、こんなところで将棋倒しでケガなんてゴメンだぜ…。

押さず流されずなるべく自然体でいたら何となくバスの入り口に近づいてきて何とか乗れた。それにしても、ちゃんと列を作って順番に乗り込んだ方が早いしスムーズだし疲れない、ってことが、そういう経験のないこの人たちにはわからないんだろうなー。

バスが動きだししばらく行くと、待ちきれずに歩いて石窟に向かう人たちが結構いる。そのうち一部も人たちが僕の乗っているバスを止めて運転手に何か言ってたかと思うと、後ろに回ってハシゴを登って屋根のうえに乗り出した。後にどんどん人が続いてたぶん20人くらいを屋根に乗せてバスが出発した。全くなんて人たちだ。

ようやく石窟に着いてガイドがチケットを買いに行くのをしばらく待って、結局駐車場に着いてから1時間以上をかけてようやく石窟巡りスタート。最初にしてハイライトのNO1はイキナリ行列だが仕方がない。
でも外からも屋根の下部分に色が残っており壁画があった痕跡がわかる。靴を脱いで中に入ると壁画や天井画がかなりちゃんと残っている。ブッダにまつわる色々な場面のようだ。特に悪魔が蛇女になって誘惑する壁画は鮮やかに残っているし別の絵は法隆寺の壁画がモロにここから影響を受けているのがわかるものだった。
ここ天竺から、支那、朝鮮を経て飛鳥まで伝わったことが実感としてわかる。単に伝わっただけでなくもしかするとここの職人が長い旅を経て飛鳥に辿りついたのでは?と想像してしまうほどだ。何かすごく不思議だがインドと日本は大昔からつながりがあったことを実感する。そういう意味では西洋諸国よりも近い存在なのかもしれない。
NO2も壁画がすごい。彫刻が素晴らしい遺跡は他にも多くあるがこんなに絵が残っているところは珍しい。やはり1000年以上に渡って放って置かれて忘れられた存在になっていたのが大きいのだろう。コウモリとネズミなど以外に荒らす奴らが居なかったのだ。そういう意味では多くの観光客が来ている今は、劣化の危険性が大きくなっているということだ。確かに世界遺産として保護する必要がある。JICAなど日本の機関がそれに寄与していることは素晴らしいことである。
ガイドが次はNO.5へ行くから途中飛ばして来いと言う。仕方なくNO.5へ行くとこんどはストゥーパのあるヴィハーラ窟だった。ストゥーバも良いが周辺の壁画も良い。
次はNo.10へ行くらしいが途中もそれぞれに素晴らしく飛ばすのはもったいないので駆け足で見ながらNo.10へと向かった。No.10はNo.9と同じようなチャイティヤ窟だが発見者John Smithの落書きが残されている。

No.17はまた壁画がすごい。ガイドもかなり丁寧に説明するが、説明されると人が山のようになって写真が撮れないのであえて違う場所をゆっくり見ながら撮影する。

順番に駆け足で見つつ、最後のハイライトNo.26へ。ここにはSleeping Budhaがある。この涅槃像の表情が何とも言えず良い。
魅了されてしばらく見ていたが、このあと真っ直ぐ入口に戻ってレストランで食事をしろと、ガイドからの指示。No.5まで途中飛ばした窟を急いで入ってみてレストランへ。
連休だから仕方が無いのだが、これだけの像と壁画の宝庫なので、一つ一つもう少しゆっくりしたかった。もう一度普通の週末に来てみてもいいかもしれない。

レストランでThaliを食べた後、帰りの駐車場までのバスも大行列に。できるだけ早く並んたつもりだったが、僕が駐車場についてバスに乗り込んでからも帰ってこない人がいてなかなか出発しない。結局1時間くらい待っただろうか。まあこっちも最初から諦めて本を読んでいたので何てことはなかったが。結局ホテルに戻ってきたのは8時を過ぎていただろうか。

昨日と同じホテルのレストランで食事をするのも面白く無いし、と思っているとバーが目に入った。聞くと簡単な食事ならできるそうだ。入って注文したバターガーリックプロウンがおいしく、ついお酒もオカワリしてしまった。

2011年8月13日土曜日

マハラシュトラ州の観光拠点オーランガバードへ

3連休、土曜日の朝残っていた仕事をやっつけると、このままアパートで過ごすのが嫌になって来た。Aurangabad行きのチケットを調べるとJet AirwaysとAir Indiaは満席だったがKingfisherに空きがある。すかさず予約。ホテルもLemon TreeとVITSは満室だったがTaj Residencialが空いていたので予約。

急遽夕方出発でアジャンタ石窟、エローラ石窟観光の拠点Aurangabadへ。雨季とは言えムンバイから比べると雨も少なそう。ドライバーが休みなのでアパートの前のHill Roadとの角でオートリキシャを拾う。止まってくれた1台目は300ルピーとかアホなこと言うのでやめた。しばらくして来たクルマはメーターを倒したのでそのままにして出発。25分ほどで空港へ。料金も140ほどで結構かかったが最初のドライバーが言うほどではない。

チェックインして国内線で唯一Priority Passが使えるClipper Loungeへ。ほとんど何も置いてないショボいラウンジだがリクエストしたらサンドイッチを持って来てくれた。コーラと一緒に少しお腹を落ち着かせられた。
時間になったのでセキュリティチェックを済ませゲートへ向かう。ところが案内板を見るとゲート番号が変わっている上に出発時刻も40分遅れ。出た、またいつものだ。
ゲートで待つこと1時間あまり、ようやく搭乗。でもまたなかなか動き出さない。結局なんやかんやで1時間半遅れてAurangabad空港へ到着。Tajのカウンターに人が居たので今夜予約している旨を伝えてクルマへ。外へ出ると涼しい。デカン高原だからかムンバイのムシムシもなくさわやか。20分ほどでホテルに到着。新しくはないがイスラム風の瀟洒な外観。部屋も古いがまあ悪くない。アメニティやトイレットペーパー、ティッシュが質が良くさすがという感じ。

2011年8月8日月曜日

ムンバイの雨季はカビとの戦い?

今朝出社すると日本人の同僚が、「家にカビが繁殖して週末退治するのにタイヘンやった」と言っていた。僕よりよっぽどマメに空気を入れ替えたりしている人なのに、である。カビは根絶することは難しいので戦いは当分続くのだろう。
6月から9月まで4ヶ月に渡り続くモンスーンシーズン=雨季は、湿度90%以上、気温30℃前後とカビにとって最高の環境にある。繁殖しない方が不思議なくらい。

不精な僕は敵は手強いので、湿度を高めないためにエアコン入れっぱなし作戦を敢行。出かけているときも1台はエアコンをつけっ放して湿度を下げておく。幸いムンバイの電力事情は良く、停電がまずないので帰宅してもモワ-っと熱と湿気がこもっていることはない。
代償として月11,000ルピー(2万円強)を払っているが仕方がない。だいたいムンバイの電気代は高いのだ。単価が日本の2.3倍。電気代を払っている人は2-3割と言うからそれでみんなの分を支えているらしい。
まあそれでもカビだらけになるよりは良いとするしかない。さてこのまま雨季を乗り切れるか?

2011年8月6日土曜日

Highstreet Phoenixで鍋料理の材料を見つける

爆弾テロ以来久しぶりにMumbaiを南下。Highstreet Phoenixへ買い物へ。その後特に物騒な情報もなく大丈夫だろうと判断。


2ヶ月ぶりくらいだろうか?店が結構入れ替わっている。今までインドで見たことがなかったLushがある。こっちで買ったキャノンのプリンターのインクもキャノンの専門店があり見つかった。HPでないとインクがなかなか見つからないんだよね。キャノンを選択したのは失敗だったかも

新しい食料品店も前回PalladiumにFood Hallというのが出来ていたが、今回Victorinoxの隣に輸入食品店Dolce*Vitaが出来ていた。そこをチェックしていると薄切りの豚肉がある。どうやらイギリスからの輸入品らしい。インドではなかなか買えない豚肉、買えても絶対厚くしか切ってくれないのが手に入るのは貴重。値段は日本並みだが仕方がない。
またクノールのチキンストックや野菜ストックがあるのも貴重。インドはドロッとしたスープばっかり売っていて、洋風スープを作るのにストックがあると便利なのでこれは助かる。


他にmagppieという北欧デザインインド生産の雑貨屋でティーカップを4脚買った。北欧テイストとインドテイストがミックスした感じでなかなか良いかも。
アパレルではZaraやMango、BossやTomy Filfiger, FCUK、CK、DKNYなど充実。


Dolce*Vitaで豚肉を仕入れ、白菜やネギなどはFood Hallで調達。帰って下準備。日本へ手配をしていたポン酢が活躍する時が来た。あー久しぶりの鍋と日本酒、至福の一時であった・・。