2012年1月29日日曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第4日-ガンガーの日の出とサラーナス

5時半にホテルを出て昨日空港へ迎えに来てくれたドライバーの運転でガンガーへ。車中色々話をしたが、ドライバーの主な副収入は土産屋からのコミッションで通常5%、米人はカネ払いがいいから10%が相場らしい。あとアーユルヴェーダは20%と高いコミッションをくれるとのこと。観光の際などに土産屋に寄らないと不機嫌になるドライバーへ、時間節約のために土産屋をスキップさせてチップを決める際に参考になりそうなTIPSである。

ガンガーに着くと意外なくらい人が少ない。もっと多くの人がみんな沐浴しているかと思ったが・・。でもおじさんおばさんが数人沐浴しているので撮影をしてから、用意されたボートへ。
ホテル手配のえらい高いボート(1時間450ルピー、たぶん相場は150-200ルピーくらい)だったが、僕一人だけの貸切だったので気分良くスタート。
どうやらスタート地点は端のほうのガートだったようで、北上するにつれにぎやかになってくる。ガートと街灯が川面に揺れてなかなか情緒のある風景だ。メインのガート付近からボートに乗る人も多いらしく川の上にもボートがいっぱいになってきた。焼き場のちょっと先まで行ってもらって引き返す。帰りのほうがガートに近い場所を通る。焼き場のそばで女の子2人がボートを漕いでいると思うと「Candle?」と聞いてきた。商売か、全くたくましい。

「いらない」と放っておいて先を行く。確かに気づくと川面にロウソクが浮かんでいてこれもまたなかなかきれいだ。徐々に東の空が明るくなってくる。メインのガートに近づくと多くの人が居るが思ったほど川に入っている人は多くない。案外こんなものかな。でも一部でクロールをしたりかなり沖まで泳いだり、やたらと元気な一団も居たり、日本人らしき若者2人が寒そうに川に入っていったり、眺めているのはなかなか面白い。

そうこうするうちに東の空にぽっかりお日様が現れた。ガンガーに浮かぶ東から昇ってくる太陽。それはやはりどこか神々しい。これを崇拝したい気持ちは理解しうるものだ。日本も元来太陽信仰だということからすると共通する感覚を持っているのかもしれない。
だんだんと乗った場所へ近づいていく。お日様の前をボートが行き交い、向こう岸は砂の岸になっており雰囲気があり飽きない。元に乗ったガートへ到着するがそこで沐浴する人やガンガーの風景をもう少し撮って引き上げる。

ホテルへ戻る途中ドライバーさんが少々自慢げにヴァラナシ大学を案内してくれたので素直に着いていった。65もの専攻と33,000の学生がいるという巨大大学である。トップクラスの大学のひとつであるらしいことは理解できた。

ホテルで朝食を取って、そのあとサラーナスへ寄ってから空港へ行くという話をして、チェックアウトの支払いをして車を待つ。ところがいつまでたっても全然来ない。最初「10時」と言っていて、「11時になります」と言ってきて、結局12時になってようやく来た。なんでこのしょぼいホテルで4時間も過ごさないとあかんねん!全く時間を無駄にしてくれる・・。

腹立ちを抑えきれないままサラーナスへ向かう。途中ちょっと渋滞していた箇所もあり、実際に使えた時間は30分強。ここはブッダがボードガヤで悟りを開いた後に、初めて説法をしたという場所で 仏教4台聖地に数えられるらしい。大きなストゥーパがあるのでそこへ向かうと、韓国人とすれ違う。チベット系の人も多くいるし、タイ語らしき声も聞こえてくる。さまざまな仏教国から人が訪れている感じがわかる。ストゥーパ以外は土台だけが残る遺跡のような場所だが、木などに雰囲気があり、2000年以上前のことが想像できる場所だ。本当なら大昔に想いを馳せながらゆっくり過ごした居場所だが何しろ時間がない、次に博物館へ向かう。2-5世紀くらいのブッダ像を中心とした彫刻が展示されている。
ガンダーラ美術よりはもうちょっとインド化が進んだ感じだが、日本の仏像ほどはふっくらとせず、ほっそりしてなかなか男前。ここもゆっくりひとつひとつ鑑賞したい場所だが、10分で通過し、最後にお寺へ。
ここも各国の信者たちが訪れている。作りが石であってもちゃんと鐘があり仏像があると、お寺らしい雰囲気だ。内部はブッダの一生を描いた壁画が飾っているが、戦前に日本の画家が描いたものらしい。こういうインドと日本のつながり方もしているんだな。
サラーナスは半日くらいかけていても良いような場所だったが、残念ながらフライトまでの時間がなくなってきた。クルマに戻りドライバーに空港へ急いでもらう。これで今回の旅は終わりだ。

でもせっかくだからと寄ったヴァラナシ、案外悪くなかったな。ガンガーの風景とガート、そこへ至る入り組んだ道は旅人を寄せ付ける何かがあるのだろう。時間があれば、ひたすら入り組んだ道をあっちへいったりこっちへいったりしてみたくなる気持ちが僕にもあった。ムンバイからの交通の便的にまた来るかどうかはわからないけど、来ることがあればまたウロウロしてみるのは悪くない。

2012年1月28日土曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第3日-ナショナルパークでのサファリとヴァラナシへ

今日は事前には全然知らなかったパンナナショナルパークへ行くことにした。運がよければトラも見られるとのこと。5時半にホテルを出発して30分強でナショナルパークの受付へ。そこでチャイを入れてもらいホテルから持参の朝食弁当、マサラ・オムレツ・サンドイッチを食べる。

朝食後いよいよサファリへ。ここまで来たマヒンドラの4駆(ジープ)の後部の幌をはずしてオープンにしそこに座った。さすがにまだ寒い。しばらく行くと、鹿がいた。その先にも別の種類の鹿、その後野生の犬という風情のジャッカルなども。ただトラが水のみに来るという場所には残念ながら姿なし。結局2時間ほどでクジャク、ワニ、猿、イノシシ、タカなど色々な動物の自然の生態を見ることができた。

ただハイライトとなるトラが見られなかったこと、群れがサルを除いてはそれほど多くなく、せいぜい一家族といった規模でいるという点で、ザンビアなどアフリカのサファリと比べて迫力と「うわー」というすごさ、例えば像の群れやカバの群れを見たときのような感じはなかった。

ホテルに戻ってシャワーを浴びた後空港へ。清算するに当たり色々手配してくれた旅行会社のお兄ちゃんに「ちゃんと請求書・領収書を書いて」と言うと用意していなかったらしく、慌てて空港の駐車場で誰か知り合いの帳票をもらってきて書いてくれた。「この調子だとひょっとしたら法外な価格を言ってくるか」と思ったが、そんなことは別になく、請求額はリストの価格を足し合わせたもの、5000ルピーだった。まあリスト価格が元々インドにしてはかなり高い価格に設定されているのでこれだけ渡せば十分だろう。

チェックイン後に何か食べようかと思ったが、売店のスナックしかなく仕方がなく「Oreoとコーヒー」と頼むと「300ルピー」だと。おいおい空港が高いとはいえそれはないだろうと「Too Expensive!」と言うと「OREOは米製のだ」という。「そんなもんいらん、インド製を出せ」と言ったらBritaniaのビスケットを出してきたので「それで言い」と言ったが、今度は250ルピー。おいおい、ふざけるなと思って交渉した結果結局150ルピーに、それでも通常の街のレストランのランチ並みなので十分高いが「まあ空港だから街中より高いのは仕方がない」と許してやった。

ヴァラナシではホテルがまったく取れず、ぜったいこのホテルでこの価格はありえないというホテルを取っていた。迎えに来たドライバーに聞くとどうやら医学の学会があるらしく市内のホテルと言うホテルはすべて満室だそうだ。いやー、やられた。
ホテルに着いてみると想像通りで、風呂トイレ共同のしょぼいホテル。まあでもヴァラナシ経由でカジュラホーまで行って、全くヴァラナシでガンガーを見ないというのも何なので、せめてガンガーだけは見ていこうと一時下車(下機?)したのだ。

荷物を置いて、怪しいのでパソコン他はスーツケースに入れて鍵をかけて出かけた。呼んでくれたオートリキシャも駐車場で待っててくれるとは言え良い値段だ。街がみんなで寄ってたかって旅行者から巻き上げている。まあ有名な観光地なんてそんなものか。
リキシャに下ろされた駐車場で「ボート」とおっさんが早速寄ってきてふりほどいたは良いがいったいどっちへでたらガンガーなのかさっぱりわからない。またなんでかiPhoneの調子が悪くGoogle Mapが全然表示されない。何となく「こっちかなー」とカンで進みつつあると、話しかけてきたおっさんが居て自分もガンガーへ行くというからついていった。そのうち後で「店を見に来い」というので「ははーん」と思いつつ、まあ多少買うくらいは良いかと思ってついていったらいきなり焼き場に連れていきやがった。で別の奴が出てきて話を聞いているうちに「ホスピスが隣だから見に来い」とか言う。「うん?これって地球の歩き方に書いてあったカネ巻き上げるやつ」と思ったので、振りほどきもうちょっとそばで焼き場を眺める。もっと体を焚き火で焼くような感じかと思っていたが、ちゃんと遺体は布でくるまれていて、薪とは言えうまく燃えるように色々な油を使っていて、焼けるのに3-4時間とちょっと長くかかるようだが、途中も姿がはっきりわかって生焼けということもなく、見た目は普通の火葬場で焼いているのとそうかわらない感じだった。
なんかもっとショックを受けるような場所を想像していたが、「まあこんなもんか」という感じ。むしろ名古屋の八事のほうが焼く温度が低いのか時間が短いのか、あるお葬式の時は骨がそのまま残りすぎていて個人的にはショッキングだった。

その後、おつきあいで彼の店へ付いていって、そんなに押し売りされるでもなく、でもまあつきあいで男性でも使えそうなシルクの小さいスカーフを1200ルピーから600ルピーに負けさせて買った。
その後またガンガーへ連れて行ってくれるかと思ったら、用が終わったら「ほかの人のところは行かなければならなくなった」とか言ってさっさと行きやがった。まあ一緒にいても鬱陶しいのであえて引きとめもしなかったが。

ガンガーはちょうど夜6時半を過ぎてPUJA(儀式)の時間。何ヶ所ものガートでPUJAをやっている。PUJAそのものは在庫センターの開所式とかで自分でもやっているので、やり方が違うとはいえ、まあでもそれほど面白いものでもなく、さーっとみて通り過ぎた。夕方だからか沐浴する人も誰もいない。これは明日の朝もう一度来て、見てみなくては、ガンガー自体の雰囲気は多少見たとはいえ、ガンガーを見たという感じがしなさすぎ。
ということでホテルに帰ってから明日早朝もう一度来ることとボートに乗ることを約束して手配してもらうことにした。

2012年1月27日金曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第2日-カジュラホー寺院めぐり

昨夜頼むことにしたタクシーのお兄ちゃんが9時にやってきた。早速出かける。まずは南群へ行くという。チャトゥルプジャ寺院だ。ちょこんと小さな寺院が草原に突っ立っている感じ。でもやっぱり彫刻はなかなか素晴らしい。そして次には発掘中の寺院へ行くとのこと。途中水汲み場に集まっている子供たちや人々が素朴でいい感じだ。

発掘現場へ行くと小高い丘を掘って、寺院が出てきている。管理人みたいなおじさんが居てわかりにくい英語で説明してくれる。というか単語を並べているだけでかつこっちの話はわからないらしい。やれやれ。まあとにかく今掘って行っていて出てきたものをまた新しい金具で組み合わせて組み上げていっているらしい。まあ気の遠くなるような作業である。こういう事業にもユネスコの資金は使われているのだろうか?85寺院中現状25寺院しか整備されていないというから、残りの寺院の発掘にもお金が回るとこうして徐々に再整備されていくかもしれない。

次の南群寺院はドゥラーデーオ寺院。ここにはありました!左右側面にお約束の「!!!」が・・・。さすがカジュラホー。西群だけではなくそこここの寺院がこうなんだな。

そこから少し北上し東群寺院へ。まずはジャイナ教寺院から。ここも現役の寺院がありまずはそこを除いてみると、まあ熱心に体を折るようにして祈っている。ジャイナの純粋さというか真剣さを見る。ただ見ていると仏教と似たような雰囲気で、仏教、ヒンズー、ジャイナは親戚であることを感じる。
その奥は今は使われていない純粋な遺跡としての寺院が10個ほどあったろうか。うち2つパールシュヴァナータ寺院がかなり整備されていて中に入ってもこれまで見たヒンズー教寺院とそっくり。ジャイナの丸裸の聖人の像があって、ヒンズーの奔放な像がないのが違うくらいだ。

更に北に行くと東群の他の寺院へ。これらはヒンズーの寺院。ブラフマー寺院、ジャヴァーリー寺院のそれら2つを回って出てくると、タクシー(というか旅行会社)のお兄ちゃんが「この人は日本にいる人だよ」とインド人を紹介される。話をしていると大阪の新北野のあたりに住んで茨木に通っている、正月と親に会うのに1ヶ月ほど帰省しているとのことだった。いやいや、なんか身近なところにつながる色々な人がいるね。

お昼を食べて「午後からナショナルパークに行くか?」と聞くので、それなら明日の朝にして(そのほうが動物がよく見られるだろうとの思い)、昨日消化不良だった西群の寺院をもう一度回ることにする。そして今夜ダンスを見ることに。

きっとさーっと見て終わって時間が余ってさっさとホテルへ戻ることになるだろうと思っていたが、外の彫刻を順番に丁寧に見ているとあっという間に時間が経ってしまった。

ちょっとわかってきたのは、象や馬などを押し立てて戦争へ行く場面も多くあること、そして戦勝を祝い、ダンスをし、そして性を謳歌している、つまりは生きて帰ったこと、生を喜んでいるということだ。文学においても生と死を描くための題材としてセックスは切り離せないテーマだが、ヒンズー寺院においても生と死という根源的なテーマにかかわりこういう性の描写がなされている気がしてきた。そして宗教とは死を受け入れるために不可欠なものであるからこそ、生を喜び宇宙と一体となり死後も次の世界へつながるもの(つまり輪廻転生)として、それらは切り離せないものなのだろう。

夜のダンスは各州の伝統的な踊り、つまりフォークダンスを色々と見せるというショーであった。まあ各地の盆踊りを見せる、みたいなものだ。いくつかの曲(Panajab州のときの曲とか)は僕らがディナーをやるときにかかる曲もあり、民謡っぽい曲が今でも流行っているということが実感できた。

2012年1月26日木曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第1日-カジュラホーへ

ムンバイから直行便がなく、スッと行きづらいカジュラホーへ、連邦共和国記念日に有休をくっつけて行くことにした。まずは朝8時過ぎのフライトでデリーへ。いつものように出発も遅れ到着は更に遅れ30分を過ぎているか。そこへ特別機が飛ぶとか何とかでデリー空港がしばらく封鎖とのアナウンス。おいおい。
結局予定の1時間半ほど遅れ11時半を過ぎてようやく次の寄港地のヴァラナシへ。ここでは1時間も待たずに再度飛び立った。が結局1時間遅れくらいでようやくカジュラホーへ着いた。

それにしても何でこんな寄り方をするのだろう。例えて言うならば東京から長野へ行くのに大阪へ寄って、金沢へ寄って、長野へ行くような感じ。まっすぐ行ったほうが絶対に早いし近いのにわざわざ回っていく。カジュラホーが北インドを周遊するコースに組み込まれていて、ムンバイからの直行便にすると利用者がほとんど無くなるのだろうか。
ホテルからの迎えの車に乗って予約していたチャンデラホテルへ。パッと見た目はそれほど豪華という感じもなくフツー。迎えの車のお兄ちゃんが「この後お寺を見に行くか?」と言うので「行く」と答えると待っていてくれることに。

チェックインして荷物を置いて早速出かける。念のためタクシーの料金表を確認。半日(4時間)で900ルピー。ちょっと高い気もしたがまあ良いかと乗る。寺の跡はライトショーやダンス鑑賞もあるとか色々提案して来る。まあとにかくまずはお寺を見てからということで、西群のお寺へまずは行く。一番近くて実はいきなりのハイライト。外国人価格250ルピーを払い入場。ガイドが売り込んできてうるさいのも嫌なので音声ガイドを100ルピーで借りる。これで落ち着いて自分の見たいように見られる。まず入って左側のラクシュマナ寺院へ行くがちょうど同じ飛行機で着いた団体さんがたが集積していて落ち着かなさそうなのでやめて中央のカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院へ。靴を脱いで中へ入ると見事な彫刻が室内にたくさんあってうれしくなる。もうカメラでバチバチ撮って外へ回る。左側から見ていくとヒンズーの色々な神様があって、もう少し行くと「!!!」。ありえないアクロバティックな格好のカップルに、いきなりはカジュラホーのハイライト中のハイライトに来てしまったと思う。まあそれにしても「こんな屋外の青空の下にあっけらかんとあるなあ」、という感じ。
もうちょっと裏側に回ると上へ上へ伸びるシカラがよくわかりお寺の造形自体の素晴らしさも感じる。右側へ回ってくると。おっと「!!!」、またあった。どうやらお寺の左右側面中央はそういう場所らしい。まあでも宇宙とつながる大切なことなのだろうから堂々としていて良いのだ。
一回り小さなお隣も同じ感じで、とにかく今日夕方までにざーっとは見ておきたかったので次々に回る。ちょっと古い感じの  寺院も側面中央はやっぱり「!!!」だった。やるなあ。

最後にラクシュマナ寺院を見ているうちに、やたらとホイッスルが聞こえると思ったら警備員が「5時半だから出て行け」と言う。うーん、時間切れ、残念。ざーっとは見たけど一つ一つ彫刻を鑑賞したい気持ちは満たされず、できれば明日か明後日来ようと思いながら後にする。
隣に見えた現役のヒンズー寺院、マタンゲーシュワラ寺院にも行ってみると、どうやら中に入ってもよさそう。お坊さんに招かれて中に入ると、おでこに朱色のしるしをつけてくれたので50ルピーお布施を払う。現役の寺院はそれほど外壁に彫刻もなく、中もあんまり掃除されておらず雑然としている。やはり西群寺院は世界遺産であることでユネスコからお金が出ていて整備できているのだろうか。こういう国でこそ、ユネスコ世界遺産にして文化遺産や自然遺産を守ることは大切だと感じる。

時間があるのでお茶でも行くかというので、いつも行くらしい店(つまりコミッションがきちんと返る店だろう)へ連れて行かれる。メニューを見ているうちになんかおなかが減ってきたのでThali(インド定食)を頼む。観光地価格で140ルピーとやや割高だったが、案外いける。食事を済ませるとLighting Showの時間が迫っている。あわてて駆けつけるともう始まるところだった。西群の寺院のちょっと手前でプラスチックいすを並べて会場になっているので、プラスチックいすを最前列に付け加えて座る。ショーが始まると、カジュラホーの歴史、どうやって寺院が次々作られていったかの物語を説明しながら、順番に寺院がライトアップされていく。これはなかなかきれい、値打ちのあるショーである。

事前には僕は情報は仕入れられておらず、これを紹介してくれたタクシーのお兄ちゃんを、もしかしたらタクシーでなくても回れる距離かもしれないが、まあ任せてみることにした。
ショー終了後なんか眠くなってきて、ダンスはパスすることにする。ホテルでシャワーを浴びると移動の疲れもあったのかすぐに眠くなってきてかなり早くに床についた。

2012年1月23日月曜日

2月10日からKingfisherがOne Worldに加盟!

One Worldのホームページによると、インドの航空会社Kingfisherが2月10日に加盟するとのこと。
今までこういう国際アライアンスに加盟していたインドの航空会社はなく、Jet AirwaysがANAと提携していたくらいで画期的。ANAだとマイレージポイントはたまるけどプレミアムポイントは貯まらなかった。One Worldだとそのへん違うかもしれない。日本へ帰国するのにもCatheyが便利との話もあり、一度One World陣営の状況も調べてみよう。

2012年1月22日日曜日

ムンバイ日本人会新年会(2012)

赴任して1年弱、ようやくムンバイ日本人会の行事に参加した。

そもそも申し込みをして半年余り全く何の連絡もなく、一度名簿をチェックしたら全く登録から漏れていることが判明し、それを指摘してやっとメーリングリストで連絡が入るようになったのである。で初めて案内をもらった行事が新年会だったと言うわけ。
まあムンバイの日本人会は小所帯で、それら事務手続きも専任でもなくて業務の傍らボランティアでやられているわけなので、それを責めるつもりはない。

行ってみると多くの人。これは驚き。ムンバイにこんなに日本人が居たのか?しかも奥様方や子供さんなど今までほとんど見たことのない種類の日本人も居たことに単純に驚いた。たぶん250人以上の参加ではないだろうか?現在登録されているのが450名ほどと聞いているので参加率50%以上という大イベントである。

しかし知った人がほとんど居ない。今まで行事に参加していないのでホント誰が誰かわからないのだ。まあでもせっかくなので話せる人とは話をして少しでもかかわりを開始しようとあいさつを始めてみた。

結局30人くらいの人と話をしただろうか、案外うちの会社の近くのAndheri界隈に事務所を構えている方も多く、今後何かとおつきあいいただけるとありがたい。「赴任して1年」って言うと「まだ◯◯ヶ月」という人が多く、既に先輩扱いされたのは驚き。それだけ急速に日本人が増えてきているということだろう。この1年で100人くらい増えているようだ。

まずは紹介してもらったテニスの練習からでも参加することにしよう。

2012年1月15日日曜日

一大イベント「ムンバイマラソン2012」

ムンバイマラソンのドリームランという6kmのコースに参加してきた。
といっても、このコースはまじめに走ると言うよりは、参加することを楽しむコースで、みんな企業や団体で参加して、途中途中にスポンサー企業が出したステージがあってそこで踊ったり音楽聞いたりしながら、だらだらと6kmを歩くもの。

もちろんフルマラソンやハーフマラソンのコースはまじめに走っているのだが。


まあでも、ムンバイの街あげての大イベント、前夜祭のセレブリティのたくさん居た(僕には誰が誰かわからんけど)パーティなど含め、華やかなムンバイの側面を垣間見られた機会でした。

ただ「マラソン」と言っておきながら、全く走らなかったのは何となく消化不良。10kmでまじめに走るコースがあれば、それに参加するかも。

2012年1月13日金曜日

Auto expo 2012 (デリーモーターショー)

事前にインターネットで「チケットはメトロの駅で配布される」と調べてあったので、会場近くの駅までタクシーで行って、そこでタクシーを帰して駅構内へ。
色々聞いてみるが、しかしここでは配布していないようだ。仕方がないので外に出て聞いてみると「会場のゲート1へ行け、1kmあるけどな」とのこと。「タクシーを帰すんじゃなかった」とそのとき思ったが時既に遅し。仕方がなく15-20分ほど歩いて行くと途中のゲートも長蛇の列。ようやくゲート2に着いて、でもチケット売り場がよくわからずゲート1まで行くかと思って進むと、そこにチケット売り場があった。
当然そこはかなりの列。

まあしかし何とかチケットを手にしたものの、入場するにはセキュリティチェックもありこちらは人だらけの長蛇の列。まあでも、並ぶ仕方がない。iphoneをいじったりしているうちに列は進みやっとセキュリティチェックまでたどりついた。

ようやく入場し近くのホールにとりあえず入って見る。部品メーカーの展示ホールだったようで人もそんなに多くなく、僕らの普段見るような展示会と同じような光景。クルマを見るのにアタマがいっぱいで「名刺忘れた!」と後悔。日本のメーカもあったし部品メーカさんへ商売のきっかけづくりできたかもしれなかったのに・・・。反省。

その他にも中国の部品メーカが集まっているホールなど多数あり、どこもインド市場を開拓したい様子。

その後いよいよ完成車を見るかと思ってまずは商用車のあるホールへ。なんかわからんブランドForceのSUVなんかもあり、国産車もTATAとかMahindraばっかりじゃないことを認識。ちょっと前の中国ほどではないが小規模の自動車メーカも多数あるのかもしれない。

次に大きなホールへ行くが出口ばっかりで入り口がない。大きく回りこんでようやく入り口。どうやらTATAらしい。まずは商用車のTATA。トラックやバスがたくさん。そうしてNANOベースのコンセプトカーが見えてくる。なんかもうすごい人だかり。TATAグループ傘下のJaguarなんか人人人で何展示してるかわからない。その後VWグループで右にAudi、左にSKODAの展示、これもよく見えない。奥にあるBMWにも入ろうかと思ったがMINIの発表で盛り上がっていて全然勧めないのであきらめて一旦外へ。

次にTOYOTAのあるホールへ。これも混んでいて中々ホールに入れず裏へ回ってトヨタブースへ行く。INNOVAやFortunerのマイナーチェンジが目玉か?あまりコンセプトカー的なものはなく発売しているクルマ中心だが、Etiosでインドでモータスポーツをやることでスポーティーなイメージを出そうとしているみたい。
隣のFord、GMはなんか入場制限しているみたいで、Fordの途中までは入ったけどGMへは行けず。VOLTが展示されているかどうか見ておきたかったが・・。

お次はインド最大の自動車メーカマルチスズキのホールへ。ここは1社でホール独占。入り口からコンセプトを書いてあってなんか盛りあがる。SUVのコンセプトカーが目玉と、新しく発売するミニバンErtigaが展示されている。
多様なニーズに対応して先頭を走り続けようということらしい。

次のホールでは1Fと2Fがあり、まずは1F、ルノーと日産が隣になったグループのブースで、コンセプトカーはないがZやGT-Rなどインドでは(たぶん)市販されていないホットなクルマで注目を集めながら、一般発売のMicra、Sunny、発売予定のミニバンEvalia(NV200)などをしっかりPR。ルノーはF1で強いスポーツイメージを出しつつMICRAのルノーブランド版PULSEをアピールしていた。今後ルノーブランドがどれだけインドでも広がるかも注目だ。

お隣は元気な現代自動車。展示は現行の車種ばかりのようだけど、Sonata、Elantra、Vernaなどどれを取ってもアグレッシブでカッコイイデザイン。10年前マレーシアにいた頃はまだ現代自動車は日本車に憧れているけど買えない人のちょっとダサイめのクルマって感じだったがすっかり外観のデザインでは日本車を抜いてしまった感じ。こりゃ彼らがベンチマークしていたトヨタ超もあながち夢ではないのかもしれない。うーん、恐るべし。
 ちなみにモデルのおねーさんも質がイチバン高かったかも。i10に立っていたムスッとキツめの彼女が僕的にはイチバンだった。

2Fは2輪が中心。HondaとHeroの離婚組がどうか気になったが、Heroはブースに人少なし。Hondaはインド人には受けそうなモデルを使って多くの人を集めていた。うーん、現状はシェアトップのHeroだが5年後10年後はHondaの躍進を確信してしまったな、これは。それだけの勢いはある。工場も新設しまくっているし。

あと2Fの目玉はBajaj発の4輪車RE60。わずか200CCの4人乗り。TATA NANOよりもさらに小さく3輪車と本当変わらない感じ。安いグレードは後ろの窓はビニールみたいでかなりインド仕様。さてこいつがいくらで発売されるか?

別のホールへ移ってホンダを探す。BRIO、CITY、CIVIC、ACCORDと現行車種ばかりの展示でこれといった目玉はなし。ASIMOでも持ってくれば企業イメージ上がるのにな。マレーシアでも持ってきてショーやったんだけど。

またまた別のホールへ行って今度はVW。入り口が専用でドイツ人のスタッフで固めた白一色のブースは、インドにして欧州の雰囲気を出すことに成功している。これはかなりの金と努力の賜物。インドじゃありえない。
PhoetonやコンセプトカーのXL1などでイメージを上げておきながら、実際にはPoloとVentoを拡販しようとのことか?あともう一つのイメージリーダーとしえBeetleも投入するようだ。


 インドの老舗メーカPremierは現在ほとんど販売台数がないが、中国のメーカと提携してミニSUVで市場へ再参入のようだ。
以前Premierの工場へ訪問したときに見たのはダイハツのTarunaそっくりさんだったのだが、今回のショーではもうちょっとオリジナリティが出ていてかなりデザインいじったように見える。ダイハツ→中国メーカ→Premierとつながっているのか?単に中国メーカがダイハツのコピーしたものの再コピーなのか、よくわからないが、さて市場に受け入れられるか?

最後にベンツのホールへ。ここだけは別世界、ホール全てがハイクオリティ。 さすが王者。ホールへのアプローチ、ホール内の展示、帰りの途中にあるショップ、すべてがメルセデスクオリティ。さすがにカネかけてるね。”ブランド”とはこういうことかー、って感じがした。

総じて今回のショーは、インド自動車市場の成長の勢いと多様化が感じられた。単にミニカーだけの市場では決してなく、色んなバラエティが今後受け入れられていくということはわかった。もちろんボリウムゾーンは引き続きAセグメントになるのだろうが。各社がどう対応して市場に受け入れられるか、なかなか面白い。2000年代の中国と同じでもはや10年同じモデルを作っていて売れる市場ではなくなっている。今後はグローバルな最新技術、最新モデルをベースにインド市場に合わせたカスタマイズ・ローカライズができた会社が市場を取っていくように思う。
楽しみなマーケットである。



2012年1月5日木曜日

偏西風の影響の大きさに驚く ー ANA943便

昨日乗ったANAの成田発ムンバイ行きの943便だが、冬場になると強い偏西風の影響で航続距離が足らなくなるらしく、福岡空港で給油のため1時間ほど寄港する。737の航続距離の限界か?
このため成田からムンバイまでの所要時間が13時間位かかってしまい、タイ航空のバンコク・トランジットで行くのと所要時間はあまり変わらなくなってしまう。

ムンバイ→成田の944便は翌日夕方着のバンコクやシンガポール経由に比べ、翌朝着くため実際一日得した気分でとても値打ちがあるが、冬場の943便は直行で10時間を切る夏場と比べると価値が落ちる。

それと気をつけないと行けないのが成田10:15発なのだが、食事が供されるのは福岡を発った後の午後2時半頃になること。福岡のANAラウンジは何もないし成田で腹ごしらえをしてから乗った方がイイ。ちなみにエコノミーでもスリッパが付いているのでこれはとても良いです。
もし943便に乗られることがあれば、上のようなことにはご注意を!

2012年1月1日日曜日

今後の日本の方向性について ー 3つの選択をする時

年が明けて「朝まで生テレビ」を見たりして、ちょっと考えてみたので記しておきます。

現状の日本のおかれている課題は2005年以降人口減社会に転じたこと。
これは大きな転換期であったにもかかわらず、7年もの間手を打てて居ない。
進む道をざっと考えると

1.人口増の為、出産数増に思い切ったインセンティブをつける

2.人口増が必要だが、出生率改善は既に無理なことがわかったため、移民増政策をとる

3.人口減を受け入れゆっくりと衰退

のどれかになる。
1.の場合、子供手当てなんて中途半端なものではなく、1人目5万円/月、2人目10万円/月、3人目以降15万円/月などという思い切った額のインセンティブを出して、出生率の大幅増を狙うことだ。婚姻数の減少には効き目はないが、漠然と経済的に不安で2人目、3人目を作らないカップルも多いと思われ、複数人の子供を持つことへの効果はあるだろう。財源は国の将来を考え、年金分をいくらかこちらへ回さざるを得ないだろう。

2.は1.が効かなかった場合、移民に対するハードルを大幅に下げること。欧州諸国は旧植民地から移民が多く入り案外人口は減っていないし、米国やシンガポールなどは移民による人口増により国の活力を保っている。もはや1.は手遅れな気もするし現実的かもしれない。何年で1.の効果をReviewして判断を下すかがポイント。個人的にはせいぜい5年と思う。

3.は日本文化を守るには移民は多く入らないほうが良い、しかし衰退は受け入れる、という道だ。 そうであっても日本国の財政が破碇しないよう必要な措置(消費税増税など)は打たなければならない。借金額をどんどん増やし次世代の負担を重くすることは許されない。どうも野田政権はこの道を既に進んでいるようにも見える。

ここ数年、政権交代も含め何度も選挙があった。しかしこれらの選択を国民がする場面があっただろうか?一見耳に心地よいマニュフェストばかりだが、我々国民にはこのような選択肢さえ与えられていない気がする。
各政党がこれら国の方向性を決めるビジョンをそれぞれに掲げて、国民がそれに基づき選択する選挙をしてもらいたい。

少なくとも国の方向性を決めるところに国民の意志を反映させるべきであるし、決めたことを推進する上で納得感を持ち易くなると思う。今のまま、「国民には何も決めさせない、しかしただただゆっくりと衰退の道を辿るだけ」というのではこの国の国民の一人としてやるせなさすぎる。

政党なのだから、政局で遊ぶことばかりせず、政策で違いを打ち出し、国民へ選択を求めるよう、各政党にはお願いしたいところだ。