2012年1月27日金曜日

カジュラホー&ヴァラナシ旅行第2日-カジュラホー寺院めぐり

昨夜頼むことにしたタクシーのお兄ちゃんが9時にやってきた。早速出かける。まずは南群へ行くという。チャトゥルプジャ寺院だ。ちょこんと小さな寺院が草原に突っ立っている感じ。でもやっぱり彫刻はなかなか素晴らしい。そして次には発掘中の寺院へ行くとのこと。途中水汲み場に集まっている子供たちや人々が素朴でいい感じだ。

発掘現場へ行くと小高い丘を掘って、寺院が出てきている。管理人みたいなおじさんが居てわかりにくい英語で説明してくれる。というか単語を並べているだけでかつこっちの話はわからないらしい。やれやれ。まあとにかく今掘って行っていて出てきたものをまた新しい金具で組み合わせて組み上げていっているらしい。まあ気の遠くなるような作業である。こういう事業にもユネスコの資金は使われているのだろうか?85寺院中現状25寺院しか整備されていないというから、残りの寺院の発掘にもお金が回るとこうして徐々に再整備されていくかもしれない。

次の南群寺院はドゥラーデーオ寺院。ここにはありました!左右側面にお約束の「!!!」が・・・。さすがカジュラホー。西群だけではなくそこここの寺院がこうなんだな。

そこから少し北上し東群寺院へ。まずはジャイナ教寺院から。ここも現役の寺院がありまずはそこを除いてみると、まあ熱心に体を折るようにして祈っている。ジャイナの純粋さというか真剣さを見る。ただ見ていると仏教と似たような雰囲気で、仏教、ヒンズー、ジャイナは親戚であることを感じる。
その奥は今は使われていない純粋な遺跡としての寺院が10個ほどあったろうか。うち2つパールシュヴァナータ寺院がかなり整備されていて中に入ってもこれまで見たヒンズー教寺院とそっくり。ジャイナの丸裸の聖人の像があって、ヒンズーの奔放な像がないのが違うくらいだ。

更に北に行くと東群の他の寺院へ。これらはヒンズーの寺院。ブラフマー寺院、ジャヴァーリー寺院のそれら2つを回って出てくると、タクシー(というか旅行会社)のお兄ちゃんが「この人は日本にいる人だよ」とインド人を紹介される。話をしていると大阪の新北野のあたりに住んで茨木に通っている、正月と親に会うのに1ヶ月ほど帰省しているとのことだった。いやいや、なんか身近なところにつながる色々な人がいるね。

お昼を食べて「午後からナショナルパークに行くか?」と聞くので、それなら明日の朝にして(そのほうが動物がよく見られるだろうとの思い)、昨日消化不良だった西群の寺院をもう一度回ることにする。そして今夜ダンスを見ることに。

きっとさーっと見て終わって時間が余ってさっさとホテルへ戻ることになるだろうと思っていたが、外の彫刻を順番に丁寧に見ているとあっという間に時間が経ってしまった。

ちょっとわかってきたのは、象や馬などを押し立てて戦争へ行く場面も多くあること、そして戦勝を祝い、ダンスをし、そして性を謳歌している、つまりは生きて帰ったこと、生を喜んでいるということだ。文学においても生と死を描くための題材としてセックスは切り離せないテーマだが、ヒンズー寺院においても生と死という根源的なテーマにかかわりこういう性の描写がなされている気がしてきた。そして宗教とは死を受け入れるために不可欠なものであるからこそ、生を喜び宇宙と一体となり死後も次の世界へつながるもの(つまり輪廻転生)として、それらは切り離せないものなのだろう。

夜のダンスは各州の伝統的な踊り、つまりフォークダンスを色々と見せるというショーであった。まあ各地の盆踊りを見せる、みたいなものだ。いくつかの曲(Panajab州のときの曲とか)は僕らがディナーをやるときにかかる曲もあり、民謡っぽい曲が今でも流行っているということが実感できた。

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