2011年7月11日月曜日

「生きる」ということ

先週火曜日夜、義父が亡くなった。間質性肺炎という美空ひばりが亡くなったのと同じ病気。
朝から「危ない」と聞いており、帰るべく飛行機は手配していたが、思ったより早い知らせ。仕方ないが間に合わなかった。とにかく、そのまま夜行便で成田へ。
水曜日の昼前に家に着いたが、義父は病理解剖をしておりまだ死亡診断書が出ておらず、お通夜やお葬式についてその時点では何も決まっていなかった。
1時間強ほどして病院から電話があり病理解剖が終わったとのこと。ここでようやく業者と連絡をし遺体を菩提寺である圓融寺に移送する話を始めた。30分後くらいに病院について義母と義妹は既に到着していた。遺体に対面したが非常に満足気な安らからな死に顔だった。
お医者さんから病理解剖の結果の説明があったが、片一方の肺は通常数百グラムのところが1KGにもなっていたそうだ。「肺が硬くなる」という間質性肺炎の特徴の一つらしい。その他の臓器についてはまだまだ十分だったようで、肺が原因での死亡ということになる。

業者に連絡をし40分くらい後に来てくれることになり、病院の先生や看護師さんなどに見送られ病院を後にした。僕らはタクシーで圓融寺へ。会場となる場所へ行き業者さんと打ち合わせ。オプションやらナンやらやっているうちに思っていたよりも高くなってしまい、ちょっと誤算だったかなと思う。でも決めてしまったこと仕方がない。帰宅して休み明日の湯棺、通夜に備える。

翌日は昼過ぎにお寺に到着。湯棺なるものを体験する。要するにお風呂に入ってもらってみんなで洗ってあげること。大の風呂好きだった義父にはとても良かった。家族皆んな喜んでもらって良かった。死装束に着替えてもらって準備完了。
18時よりお通夜が始まる。基本的には身内だけで義妹の会社の方が1名いらっしゃった。名古屋から来ていただいた親戚もいて終了後ささやかな食事をしながら思い出を話する。
義母と義妹は泊まるつもりだったようだが、無理に泊まることもないだろうとのことで帰宅。僕らもタクシーを呼んで一旦帰宅した。

その翌日は告別式。朝タクシーを呼んでお寺へ。名古屋から義伯母、義従兄、大阪から父、また義父の友人などを迎え告別式へ。そのまま連続して初七日をを行い、桐ヶ谷斎場へ。非常に新しくきれいな焼き場でびっくりする。昨年の義伯父のお葬式で行った名古屋の八事斎場と比べても格段に上等。焼いた後の骨を見るのがみんな不安だったのだが、非常にきれいな骨で悲壮な気持ちにはならずに住んだ。八事での義伯父のときは姿が残っていて、頭蓋骨も残っているのを焼き場の人が割って骨壷に入れて見ていて居たたまれなかったが今回はそういうことは全くなく、きれいに骨になっていて良かった。体格の良い人であったし、肺以外はしっかりしていたこともあり、骨も非常に詰まったきれいなもので、結果骨壷に収まりきらないほど一杯であった。

お寺へ戻ってから精進落としの会食を身内で行う。妻が挨拶に立ったが、驚くほどうまく思いを言葉にしていて驚いた。いわく「まっすぐに生きた人、不器用だったけど自分を貫いて、最後まで病気と闘い、天晴れであった」。昨夜遅く一緒に義父のことを思い出しながら話をしたのだが、それらのエッセンスをうまく表現していた。義妹も後で「お姉ちゃんの挨拶良かった」と言っていた。

僕も今までのことをここ数日色々思い出していた。初めて妻の実家へ行ったとき、結婚の許しを得に行った時、結婚後遊びに行った時、マレーシア赴任前に3ヶ月居候されてもらったとき、いつも妻の家族の中で義父が一番話をしていてしっくりくる人だった。どこか似ているところがあったかもしれない。

とても正直でまっすぐな人。
曲がったことが嫌いで、相手構わず注意する昔ながらの「オヤジ」。

19回もの入院を繰り返したが、間質性肺炎がわかってからの1年半の闘病生活、お医者さんとも蜜にコミュニケーションしながら、どう病気と闘うかを決め、義母のことも考え、いよいよ危なくなったときにずるずると意識もなく長く入院したりすることのないよう、医学的延命処置を拒否する書類を作成し、お医者さんと合意をして最後の入院生活を送ったこと。
本当に立派だったと思う。

そして7月5日の朝、急変し、苦しみを和らげるためモルヒネを打ってもらって意識も朦朧としている中、妻、子供、孫が揃うまで待ち続けた意志の強さ、そしてみんなが揃うまで待てた満足感を顔の表情に湛えて旅立っていった最期。

人として「生きる」ことは、社会的地位を追い求めたり、お金持ちになることを追い求めたりすることではなく、「人として正しく生きる」、それをどれだけできたかで最後に満足できる人生だったかどうか、自分自身が納得いくのではないだろうかと思った。
最後に大切な事を義父に教えてもらった気がする。

僕はとても義父のように立派に生きられるとは思わない。正しさよりもその場を穏便に済ませることを優先することもある、そんな人間だ。
でも一歩でも義父に近づけるように、ちょっとでもそんな生き方したいと心から思った。

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