2011年9月30日金曜日

The X Factor (USA)

TVを見ているとAmerican Idolの審査員で有名だった「Simon Cowellの新番組が始まる!」みたいな番組宣伝をやっていたので録画をして早速見た。「The X Factor」という番組で英国版はPop Idol終了後もう6−7年やっているらしいが、その米国版をAmerican Idolと同じFOXでやることになったらしい。しかも審査員にSimonに加えてPaura AbdulというAmerican Idolの黄金コンビ。このために2人ともAmerican Idol降板したのね。

年齢下限は12歳で上限なし、ソロ部門は29歳以下男性、29歳以下女性、30歳以上、それとグループ部門の4つでのコンペティションになるようだ。
40代、50代の人が予選通過するとうれしくなるし、14歳とかウチの娘と同じ、と思いながらそういう子が通ると思わずお父さんの気持ちで涙しながら見てしまっている。 
これも毎週録画にして見ることにしよう。ちなみにインドではAXNで放映しています。


どうも僕はこの手の歌のコンペティションものが好きなんだよなー。

2011年9月28日水曜日

オフィスで停電

午後3時頃だったか、バシュン!って言ってオフィスの電源が落ちた。パソコンのディスプレイーが消えて昭明も落ちている。やれやれ、停電だ。まあデリーだと毎日数回起きるけど、ムンバイでは珍しい。年に数回程度か?まあノートパソコンはバッテリーがあるのでオフラインでできる作業を気にせず進める。

30分くらいしただろうか?復帰した。

まあこの程度のことは十分あり得るし、ノートパソコンを使っている限りは大して支障もないので何てことはないな。

2011年9月26日月曜日

長いモンスーンシーズン(雨季)が終わった・・。

木曜日の朝にちょっと降ってから、雨がふらずこの週末も多少晴れ間があった。どうやらようやく長い長い4ヶ月に渡るモンスーンシーズン=雨季が終わるようだ。


天気が良くなると出かけたくなって、久々にSea Link(海の上を走る高速)を通ってムンバイ南部の中心部へ行って来た。
広々とした道をイイ天気の中駆け抜けるのは気持ちいい。

Sea Linkは今後更に南に伸びて最終的にはNariman Pointという南部のビジネス街までつながるらしい。便利になるけどムンバイの名所Marine Drive( 円弧状に続く海岸沿いに走る道路)の向こうに高速が見えているのは無粋だろうな…。

阪神高速が猪名川沿いを伸びてすっかり景観が変わった僕の生まれ故郷、池田と一緒だ。

2011年9月25日日曜日

初めてインドの映画館へ

新聞を取り始めたのだが広告を見ていると映画の案内が。なんか見に行きたくなって近所の映画館でもやっていることを確認したので、”Johnny English Reborn”を見に行った。コメディーだしまあ笑えれば良いかと。ヒンディー語のBollywood映画を見ても言葉わからんし。メチャ混みでチケット売り切れだと嫌なので30分前に着くくらいの感じでブラブラと歩いていった。少しは人がいたけどそんなに混んでいる風でもない。一人10ルピー。

まだ最上階にある映画館へのエレベータには乗せてくれないのでしばらく待つ。人が動き出したのを見て上がったがそんなに人は居ない。どうやら朝イチだからか、英語の映画だからか、空いているようだ。指定されている席は一番後ろだったが、空いているのでもうちょっと前の列へ移動し始まるのを待つ。

するとなんか突然全員起立した。なんだ?と思いながら一応立ってみると、画面が国旗になり音楽が流れてきた。そうやら国歌斉唱らしい。大相撲みたいと思いつつ、周りに従った。

映画が始まってからは普通にトラブルもなく見ていたのだが、50分くらいして突然止まって、「Intermission」の文字が。マレーシアみたいにトラブルで止まったかと思ったがそういうわけではない。でも映画自体は決して長くなく1時間40分くらいなのに休憩要るか!?きっと3時間かかるBolleywood映画での週間がどの映画にも適用されているんだろうな。

2011年9月24日土曜日

ネルーセンターは一度は見ておいたほうが良い

ネルーセンターへ行ってみた。科学の展示かと思っていたが、科学関係はプラネタリウムだけで、行ったタイミングはヒンディー語の回だったので見るのをやめた。

でネルーセンターの建物の中へ行って展示を見たが、初代首相ジャワハルラール・ネルーの生い立ち、業績、それとインド自体の歴史の展示があって、なかなか見応えがある。インドの歴史をざっと知っておくためにも一度は見ておいたほうがいい場所だ。

2011年9月23日金曜日

まともな家具屋

6年以上前の雑誌CASAに出ていたインテリアショップRed Blue & Yellowに行ってみた。場所は競馬場近く、Highstreet Phoneixからも近い場所だが、細い道を入っていくのでわかりにくい。周りは家具工場が集まっている場所のようだが、 Inorbit Mallの手前にある家具屋よりも質が良い感じだ。来たばかりの時は業者に連れられるままInorbit近くの家具屋でソファーを選んだんだけど。
店内に入ってみてもシンガポールや日本のアジア家具屋って感じで悪くない。値段もBo Co
nceptなどの欧州輸入家具ほどバカ高くもなく、あくまでインド価格。知ってたらここで選んでたのになー。でも今後赴任する人が家具付きアパートを借りる場合に、家具を新たに業者に購入させることがあったらここはオススメ。

2011年9月19日月曜日

冷蔵庫が壊れた!?

家に帰って冷蔵庫を開けると何か冷えてない。うん?と思い確認すると運転が止まっている。「あー1年もせずに壊れたかー。東芝もやっぱりインドだー」と思って、もう一つの冷蔵庫に中の物を移し、一応電源も疑ってコンセントを抜いて差したり、ブレーカを切ったり入れたり。マニュアル見ても「電源を確認してみろ」みたいなことしか書いてないし、と思いつつ、コンセントを別の口に挿したら、「ブーン」。動くやん!
コンセント口がおかしいのかと思ってそこらのスイッチを色々いじってみると、「ブーン」。電源が入った。結局メイドさんが間違って(?)冷蔵庫の元のコンセントのスイッチを切っていたらしい。はー、大したことじゃないけど遅くに帰宅してから4−50分かけてこんなことで格闘すると疲れる・・。

2011年9月17日土曜日

ドライバーが献血に行くというので聞いてみると・・

今日は土曜日だが出勤。ドライバーが僕が会社へ着いた後、「行きたいところがあるが数時間抜けて良いか?」聞くので「帰りは夕方だから構わない」というと、「実は知り合いが重いマラリアで入院して、輸血が必要で献血に行く」と言う。それでも助かるかどうかはわからないようだ。
どうも風邪とかたいした病気じゃないと思って、風邪薬だけ飲んで病院へすぐ行かなかったらしい。
マラリヤとかデング熱とか、蚊を媒体とする病気だと刺された自覚がないと同じような素人判断をしてしまう危険性はある。気を付けねば・・・。

2011年9月14日水曜日

The Sing-Offが面白い。でもインドの放映は・・。

The sing-offと言う米国の番組が面白い。
ひと言で言うとAmerican Idolのアカペラグループ版。
色々なバックグラウンドのグループ ー 東海岸のぼっちゃん風男子学生グループ西海岸の混声グループおばちゃんバーバーショップ女子学生の女声グループ黒人ヒップホップアカペラプエルトリコのグループミッションスクールのゴスペルグループなどなど ー が毎週のテーマに沿って歌い、1グループづつ脱落して行く。米国の文化の幅広さとエンターテイメントの奥深さがよく分かる。毎週楽しみ。
でも気づいたけど、インドで今放映しているのって、2009年のシーズンのやん!?うーん、やっぱり・・。

2011年9月11日日曜日

インドの郵便ポストは昔の日本のポストっぽさが・・・


インドの郵便ポスト。どことなく日本の昔の丸いポストっぽい。
どっちもイギリスがルーツかな?

2011年9月4日日曜日

インドの信州、ラダック地方を旅する-その5

朝、4時半に起きて身支度しようと思ったら停電で何も電気がつかない。
部屋に備えってあったろうそくに火を灯すが明るさが不十分で、洗面やらパッキングやらを暗い中iPadからも光をもらいながら何とか済ます。(髭剃りはスキップしたが)
5時10分頃にタクシーが到着したとの電話が入る。良く見ると電気も通じたらしい。出発できる状態になってから電気を付けたが、すぐまた部屋を出て電気を消した。何だったんだろう。
今日もまた同じドライバーさん。空港手前まではスンナリ行ったが、空港へ入るのに渋滞。まだ朝5時半やでー!
どうやらセキュリティチェックがあるらしい。Webチェックインした証明のプリントアウトと納税証明(PAN CARDと言う)をIDとして準備。15分ほど並んでようやく空港敷地内へ。ドライバーさんと別れて建物へ入るところでまたも行列。先ほどと同じチェック。
建物内に入るとまたも列が。僕はWebチェックイン済みで、もうカウンターに並ぶ必要ないだろう、と先まで行くとまずセキュリティチェックをするから並べ、と言われる、仕方なく並んで荷物と身体のチェック。
ようやくセキュリティチェックがおわったと思ったが、Webチェックインのプリントアウトしたボーディングパスではダメだという。結局チェックインカウンターでボーディングパスを印刷してもらって、それからまたまたセキュリティチェック。これは通常と同様、機内持ち込み手荷物と身体をチェックされる。
しかしわかったことはWebチェックインで席を確保する意味はあったが、プリントアウトしてもボーディングパスとしては通用しない空港がまだまだあるということ。特にここLehはインドからすると中国に近い防衛線間近の重要戦略拠点。まあセキュリティチェックが厳しいのは仕方がないのだろう。

離陸してしばらく左の窓を見ていたが、山より高くなったかどうか、というくらいから雲に覆われてきて、飛行機から見下ろすヒマラヤ山脈の景色はあまりなかった、残念。
それにしても、期待以上の素晴らしさだったラダック地方。今回行けなかったPongong湖や、1泊くらいの軽いトレッキングなど、やってみたいことは色々ある。ぜひまた戻って来たい場所だ。


2011年9月3日土曜日

インドの信州、ラダック地方を旅する-その4

昨日戻ってきてからPost Cardなどで美しい景色を見ていたのでTravel Agentの人に「できればPangong湖へ行きたい」と話をすると、許可証が必要で半日かかるとのこと。
そしてPangong湖は片道4時間かかるので、そうすると向こうで一泊する必要がある、あるいは許可証を事前に取っておいて日帰り往復か。これは無理だ。今回は断念する。
代わりに彼がいくつか提案してくれたうちの、クルマでいける世界最高地点Khardung La(峠)という案が気に入った。そこも許可証は必要だが片道2時間程度なので昼ごろ許可証を手にしてからでも十分間に合うとのこと。これに決めた。

朝8時頃Travel Agentの人がパスポートを取りに来た。これを持って役所に許可証をもらいにいくとのこと。
虎の子のパスポートを渡すのは若干不安だったが、この2日間で6000ルピーを稼いでいる上客を裏切ることはないだろうと信頼した。チベット系の顔だと何となくまだインド系よりは信用できる気がしてしまう。
だます人はどこにだっているのだろうが。
空が曇っていて大丈夫だろうか?とたずねると、ここは天気の変化が早いのできっと登ることは良くなるでしょ、とのこと。確かに山の天気は変化が早いよな、良い方に変化してくれると良いけど。

11時を10分か15分ほど過ぎて外でディーゼルっぽいエンジン音がした。来たなと思っているとフロントから電話が入る。
昨日のドライバーさんとまたまたTOYOTA QUALISが待っていた。助手席なら何とか耐えられることが昨日実証済みなので、今日も助手席に乗り込む。
Lehの街を北に上がり、王宮を横目に上がっていくと山道の入り口らしいところへ入ってきた。

ワインディングをどんどん上がりながら標高をかせいでいく。ちょっと美鈴湖から美ヶ原へのアプローチを思い出す。原チャリで上がったりクルマで上がったり学生時代やったなー。
自転車で松本から挑戦して美鈴湖のもうちょっと上まで行って断念したこともあった。あれで自転車は自信なくなったな。一度だけ上高地へ松本から行ったけどあれも最後バテて釜トンネルを歩いて押したし。


そうこうするうちにかなり上からLehの街を見下ろす感じになってきた。そしてLehの街の向こうにも山々が。何かすごく信州っぽい。
1時間も経っただろうか、チェックポイントへ着き許可証を提出。軍の設備らしきものが多少ある。

これまではほぼ全て舗装道路でかなりインドのこの辺鄙なところにしては良い道だったが、チェックポイントを過ぎると急に悪路に変化。
舗装もなかったりで凸凹していてグオングオン揺れる。こりゃ車酔い弱い人はダメだわ。
たまに対向車が来るが行き違いのときに登側が谷側になることが多く、ガードレールなんてありやしない道なので冷や冷やする。

もうおそらく標高5000m近くまで来ているのだろう。残雪もかなり見えてきた。
ここらへんの感じは、乗鞍岳で畳平から山頂に歩く途中の観測所辺りに似ている。
まあ完全に山の風景であり、グオングオン揺れるこの道もほとんど登山しているのと変わらない気分。


ツーリングでバイクで上がってくる人たちや、中にはマウンテンバイクで上っているヨーロッパ人のツワモノもいる。あのー、標高差2000m以上あるんですけど。
標高差1500mの美ヶ原で途中断念し、標高差1000mの上高地でもバテバテだった僕からは信じられない。恐るべきヨーロッパ人。やつらホントに自転車大好きなんだな。さすが自転車レースの地。
マウンテンバイクを大量に屋根に積んで上がっていくクルマもある。これは良いね。帰りだけダウンヒルを楽しむワケだ。これもヨーロッパ人多し。人生の楽しみ方を知ってるね。

ただちょっとスリップしたりして道から飛び出すともう終わり、という命がけダウンヒルだけど。ここらへんは誰も「ガードレールをつけてなかったインド政府が悪い」なんて訴訟しないんだろうな。うーん、大人。(勝手な思い込み?)

悪路に揺られまくりながら、でも景色を楽しみ、大揺れの中カメラを握り写真を撮っているうちにKhardung Laに到着。やった!
クルマでいける世界最高地点とか、クルマでいける世界最高地点のゴンパとか、クルマでいける世界最高地点のカフェとか、やたらと看板が出ていて、北海道かなんかみたいだ。
そして集団でその看板を背に大声で掛け声をかけながら何枚も写真を撮って、どこうとしないインド人おにいちゃん集団。うん、ここもインドだ。


何か半分宙に浮いているようなヘンな感じ、つまり高山病になりながらも、せっかくだから目の前の一番低いピークでも立ってみて、標高5600mのピーク登頂!って気分を味わいたく、あっ、ちょっと登ったから標高5620mか?
ゴンパにまずは階段で上がり、そこから岩を3点支持をしながら登っていってピークに立った。天気も何とか持って、視界も良く最高の気分だ!他に人もなく良い気分に浸っていると、もう一つ上のピークで声が。


見るとヨーロッパ人カップルだ。さすが全くどこでもちゃんと楽しむね、彼らは。あの姿勢たるやエライよ。こっちは高山病でフラフラ、心臓はドコドコ鳴っているがともかく気分だけは良いのだけど、彼らはきっと体も大丈夫なんだろう。(勝手な思い込み)
さて、いざ降りようとするとこれがけっこう急でなるべく3点支持が継続できる場所を選んで慎重に降りる。こんなあまり誰も登っていないようなところで足を怪我なんかしてもまず誰も気づいてくれないのだ。
何とかかんとかゴンパのところまで来て、あとは階段で降りる。
ウチのクルマがもう帰りの方向のUターンしてスタンバイしている。どうやら「早く行こう」ということらしい。クルマでいける世界最高地点のカフェでチベット料理でも食べたいと思っていたが、反対側から軍のトラックが何十台も登ってきていて巻き込まれると降りるのに何時間かかるかわからないとらしい。
でもまだ看板をバックにした写真を撮ってないし、ドライバーさんにお願いして速攻で撮影して、QUALISに乗り込む。


若干あわただしかったが、でも初体験の標高5600mはかなりイケてる経験だった。何かここも気分は乗鞍。クルマでほとんど行ったんだけど3000m登っちゃった、みたいな。


下りでは既に軍のトラックが10数台ほど先行していて徐々に追いつくと、ディーゼルの汚い排気で臭い。仕方なく窓を閉めて走行する。何台かは追い越したがチェックポイントで残りがいなくなり、ここまではみぞれも降ってきてなかなか大変だったが、チェックポイント以降は道路状態も天候も良くなり順調に下る。
Lehの街に戻ると既に3時を回っていた。最後Agentがもう一度会って話したいとのことで、今日の分を精算し、事務所にあったパソコンで帰りの航空券のWebチェックインをさせてもらう。
そして次回の為に連絡先をもらってお開き。
必ずまた来たいと思う、インドの信州ラダック地方。そしてLehは言わばインドの白馬ってところか。岳都松本?とも思ったけど、より山が迫っていてトレッキングなどがそこら中でやっていそうで、小さな街でもある感じが夏の白馬だ。白馬は軍隊はないけど。

Agentのオフィスからぶらぶら歩いて帰りがてら、土産にドライバーさんがかけていた影響でチベット音楽のCDを買う。そしてせっかくなのでターコイズ製品を、と思いアクセサリーを物色するがどうもピンとくるのがない。
どうせ買うならチベット系の店でと思うのだが、伝統的過ぎてTシャツにカジュアルに合わせる感じでもないし、かといってそういうのを売っているのはインド系の店だったりしてあまり買おうという気になれない。(どこか彼らは便乗商売の匂いがする。やたら声をかけてくるのはインド系)
そこで入ったのがTigetian Artsというチベット系のおじさんがやっているお店。店内は暗く「停電中なのでごめんね」と言う商売気のなさが気に入った。インド系の店はホンダの自家発電機で明るくしているのだか。

やはりアクセサリーはどうも現代服に合う気がしなくて、ターコイズのビーズになったものを買うことにした。アンティークで質の良いものをグラム60ルピーで売るというので、大きなもの、小さなものにより分けてそれぞれ30個、5-60個くらいになっただろうか。
日本に帰ったときに妻と娘2人に渡して自分たちで好きなように組み合わせて作って使ってもらおう。
おじさんによるとあと2週間くらいすると店を閉めるらしい。なるほどここは軽井沢か。シーズンが終わると店もしまってひっそりとなるんだ。(現在では年中にぎわうアウトレットもあるけど、たぶん旧軽井沢は今もオフシーズンはひっそり?)
で、おじさんはカトマンズにも店を持っていてそっちに戻るらしい。チベット系ネパール人ということだ。


買い物もして満足し、ちょっとインターネットがしたくなりネットカフェへ。ホテルのネットは落ちっぱなしだったのでちょっと久々。西洋人がいっぱいネットをしている。おっと隣は韓国人。
国際色豊かな夏のラダック地方なのでした。

さ、明日は4時半おきで朝のフライトで帰るのみ、早寝するとするか。

2011年9月2日金曜日

インドの信州、ラダック地方を旅する-その3

今日は4つのゴンパ、ラマユル、リゾン、アルチ、リキールと回る予定で、時間がかかることも予想されるため7時半にホテルを出発した。
なぜか今日は昨日のマヒンドラではなく、トヨタの古いQualis
今僕がムンバイで普段乗っているInnovaの前のモデルで、インドネシアではKijangという名前で有名な後輪側が板バネのトラックベースの9人乗りのクルマだ。

後席に乗って腰が痛くなるのは嫌(昔ジャカルタ出張で経験あり)なので助手席に座る。
Lehの市街地を出ると空港の横を通る昨日とは違う道を行く。空港も空軍の施設だがその痕も基地が色々続く。本当に基地の街という感じだ。
インダス川に沿ったり、上へ上がったりしながらもクルマは順調に進む。

途中Basgoという街までは時々工事中の場所はあるがそれ以外はほぼ舗装路で順調に来た。しかしその後アルチゴンパへ行く道との分岐以降になると、
単に舗装工事というのでなく、インダス川に這い蹲るように付いている道が崩れて塞がっているのを復旧しているかのような工事で、道の端ぎりぎりを走られると川の藻屑となりそうで、かなりビビる。
でもそれはまだ序の口だった。

Khalsiというところでパスポートチェックがあり、いよいよラマユルゴンパへ向かい山道を登り始めて10-15分くらい経っただろうか。
片側交互通行なのか、クルマが並んでいる。しばらく待っているが動きそうにない。
どうやら工事中でひと段落するまで通れないらしい。仕方なく待っているが10分経っても20分経っても進まない。


結局45分くらい待ってようやく進んだ。やれやれさすがはインド。
でもこうなると4つ回るのは苦しくなってくる。どれを落とすか?

3時間45分かけてようやく着いたラマユルは、ゴンパとしてはそれほど見所がなかった。到着寸前のMoon Placeと呼ばれる不思議な月世界っぽい眺めがハイライトか。


帰りもどうせまたなかなか通れないだろうことを予測し、食堂で早い目のランチとする。チベット料理、モモ(餃子)とトゥクパ(スープ麺)だが、一昨日のと同様の白湯っぽいスープでなかなかいけた。
出発してしばらくMoon Placeのあたりで列が。やはりまた待たされるらしい。せっかくのなので月世界の写真をせっせと撮りながら待つ。またまた45分、ようやく動いた。

さてこれで完全に4つ回るのは無理。今回のハイライトであるアルチを優先させることを決め、ドライバーが色々言っていたが「とにかくこのままアルチへ行ってくれ」と走らせた。
またも途中工事中のダートが多数あるなか何とかアルチに着いた。ラマユルを出てかれこれ2時間20-30分。あの工事がなければ1時間半-45分程度だったってことか。


クルマを降りゴンパへ向かうが周りには土産物屋しかなく、いったいどれがアルチのゴンパ?とゲストハウスっぽい入り口をくぐるとストゥーパが。どうやらここらしい。
しばらく行くと三層のちょっと古い木造の建物が。いきなりハイライトのスムツェクらしい。すばらしい壁画を撮影されてもらおうと思っていら、「Camera is strictry prohibited inside」だって。
他のゴンパはフラッシュ禁止だけど撮影OKなのに残念。

その分目に焼き付けようと中を見回すと、極彩色が剥げ落ちた仏像たち、同じく極彩色が剥げてきた壁画、そして上の階層の壁画、なんかギリシャっぽい柱などこれは他にはない。
何回も見ているうちに中心のストゥーパを3周していた。インド人の女性2人組みは狭いのに瞑想を始める。ポーズがちゃんと仏像らしく手をちゃんと構えている。さすがだ。
他の堂も全て11-12世紀くらいのものらしく壁画が素晴らしかった。これから見ると他のゴンパは割合最近描いた絵という気がする。

そしてストゥーパの下側にくぐれるところにもぐってみると、ここにも壁画が。ここは別に撮影禁止と描いてないのでしっかり撮らせてもらった。
裏に回るとインダス川がとうとうと流れている。周りは高い山々。ここもまた素晴らしい場所だ。

アルチを満喫して次のリキールへ。また幹線に戻り、ところどころの工事中はあったものの割合順調に来た。ここリゾンの立地も素晴らしい。他のゴンパも山々に囲まれて山上に位置するものが多く眺めが良いのだがここもまた良い。

今日はまた一段と青空が青々としていて山とのコントラストが素晴らしい。たぶん写真もそういう風に写ってくれているのではないだろうか。
屋外にある大きな座っている仏像は修理中らしく足場がかかってしまっていた。色はここまで派手ではないが山梨の大月をちょっと思い出す。
堂もいくつかありそれぞれ悪くなかったが、青空と山とのコントラストに一番見とれてしまった。ゴンパと山と空を一緒に入れた写真をたくさん撮ってしまった。

駐車場に戻るとドライバーさんが社内をお香で焚いていた。クルマを清めるためだろうか?それとも香りを良くするためだろうか?
そしてかけていたテープを切るか?と聞くのでそのままで良いよと言っておいた。何音楽か聞くとチベット音楽だそうだ。
確かにインド音楽とはゼンゼン違って、何か懐かしい感じ。歌もインドのお姉ちゃんのやたらキンキンしたぶりっ子発声ではないし、
フォーク調だったり民謡調だったり、ポップス調だったり色々するが、なんか沖縄っぽい、タイっぽい、そうアジアのつながっている音楽。
インド音楽はその流れから切れているんだな。チベットはやはり東アジア文化にちゃんと連なっていることを実感。
そうやってチベット音楽をかけながら東富士演習場みたいな基地を通り抜けていると、何かここは沖縄に似てるかも?とも思ってきたりする。
お寺は派手だし、最前線で基地の街。兵士はよそ者。(ここは地元のチベット系に対しインド系、沖縄はウチナンチュに対し米人)

ほとんどクルマですごしたような一日だったが変化する山と川、大地の景色に飽きることはなかった。
北アルプスなどを眺めることが好きであれば、ここラダック地方はたまらないかもしれない。 

2011年9月1日木曜日

インドの信州、ラダック地方を旅する-その2

昨夜手配したタクシーが9時過ぎにホテルへ来た。
どんなクルマかと思っていたが、マヒンドラのXyloという4WDでこれは安心。
昨日空港から乗ったマルチのOMNYという30年位前のキャリィで遠距離はさすがにゴメンだったので助かる。

Lehの中心部を出ると荒涼とした中に学校があり制服を着た少年少女がたくさんいる。
周りは北アルプスの尾根周辺のような草木もあまりない景色の中、彼らは良くこういうところで生きていると思う。
でもシルクロードの支流としてLehの街の歴史は長く、人々はここに長く暮らしているらしい。たくましい。

しばらく行くと川(インダス川上流)沿いの道になり、川周辺は緑のある気持ちの良い景色。山上にゴンパがある場所をいくつか過ぎていく。
午後帰りによる予定のティクセなどらしい。僕らのクルマは最初の目的地であるチェムレへ向かってひた走る。途中Kharuという場所で道を分岐するがここは軍の施設の並ぶ前線基地という風情。
国境近くの防衛線に近いということを認識させられる。兵士はほとんどインド系の人でチベット系は見かけない。
元々ここレダックにチベット系が住んでいたところを軍事的な理由で基地をたくさんつくりインド系がたくさん入ってきたように見える。

分岐点から細くなった道をしばらく行く。周りは完全に高山世界の荒涼とした景色。その中を緑のベルト地帯が続く。先ほどのインダス川に流れ込む支流周辺だけが緑に立って人が生活を営んでいるようだ。
そんな中突如として山上にゴンパと白い建物が並ぶのが見えてきた。チェムレだ。
修道僧が下界から隔離されて修行に励むという点で東西同じようなところができるのが面白い。
中に入ると観光客は誰も居ないようだ。いくつも堂があるようだが、まず一番下の堂に入る。座って仏像を見上げていると若いお坊さんがお経を読み始めた。


でも時々あくびをしたり、何か飲みながらお経を読むのでちょっとおかしい。義務だから読んでいる感じ。ホントは遊びたい年頃だが次男、三男でお寺に預けられたのだろう。
他の堂にも行って見るが複雑な構造であちこち上がっていくつも入ってみた。迷路のような感じが面白い。全般的に人が少なく落ち着いた感じでなかなか良い。

チェムレゴンパを後にして、次のヘムレと向かう。途中斜面を大きくジグザグに登っていく感じが夏のスキー場、ちょうど栂池高原のようだ。
そして登りきったところへゴンパとその周りの建物が多数あった。
ゴンパの境内(そういう言い方をするか知らないけどまさにそういう感じの場所)へ入ると少年僧がいっぱい。地域の次男、三男がみんな集まっている(?)って感じ。

なかにはキックしたりじゃれあっているのも居て、小学校と同じ感じだ。
メインで2つお堂があるらしく手前ドゥカンに入ると大きな仏像が。これはなかなかだ。隣のツォカンへ入ろうとしたら工事中で立入禁止だって、こりゃ残念。
上の階などうろうろしていたら、その工事要因なのか民族衣装を着て休憩しているチベット系のおばさんたちがたくさん居た。「日本人?」か聞くので「日本人」と答えたら何か納得していた風だった。
周りのオバサンに「ほらね、当たったでしょ」と自慢してたのか?
ゴンパを出て山の山腹ぐらいにあるストゥーパまで道が着いているのだ上がってみる。途中僧たちが寝泊りしているであろう建物が続いていて興味深い。

上まで良くとヘムレ全体が見渡せて、後ろに山が見えて素晴らしい眺め。上がってみてよかった。
何とか息が苦しくもならない、体はだいぶ慣れてきたようだ。

次のティクセは来た道をだいぶ戻ったところにあった。ここも下から見上げると欧州の修道所っぽい感じで建物が集積している。
駐車場から上がっていくが案外急坂。さっきよりもしんどい。何とかようやく回廊へ着きメインのお堂に入ると、またまた金色と大きな仏像。ここでも壁画、天井などじっくり眺めさせてもらう。

他のお堂もやたらあってかなり見ごたえがあるゴンパである。隅々まで見て回って写真をいっぱい撮ってここを後にする。

10分も走らないうちにシェイの王宮跡へ到着。ここは下の道路から自分の足で丘の上まで上がっていかなくてはならない。

この上りがかなりこたえる。やはりまだ軽く高山病なのだろうか、それとも単に足の筋肉が衰えまくり?
ゴンパは今まで見てきたのでまあこんなもんかって感じ、悪くはないのだけど。
それより横にある城跡が気になる。上へもっと上がれないかうろうろしているうちにそれらしき道を発見。どんどん行って見るとぐるっと一周しながら丘へ上がっていく道だ。
でもけっこう崩れやすい道な上に僕以外誰一人いない。一番上に行くことは断念し形がまだある程度残っている城跡を見て、下に見えているゴンパへまた戻る。
下界の景色はインダス川沿いの緑が美しい。小さい池もありこの地方としてはパラダイスと言えるだろう景色。

帰りはまだ時間も早いのでホテルではなく、Lehの中心部メインバザールへ行ってもらい、そのへんをぶらぶら歩くことにする。だんだんとLehの街がつかめてきた感じだ。

チベット料理でまだモモを食べていないのでどこかで試そうと、チベット料理店を覗く。
1件目はトゥクパはあるけどモモがないとのこどでやめて別のところに入って見ると、まだ6時にもならない中途半端な時間なのに、案外お客さんが入っている。
しかもチベット系が多い。これはおいしい店かと思いメニューのオススメのスペシャルなモモを頼んだ。
後から入った人もモモを頼んでいる。でそうこうするうちに他に人のテーブルにはモモが運ばれるが、僕には来ない。
何?と思っていると餃子というより肉マンでしょ、というのが僕のところに運ばれてきた。どうやらスペシャルは肉マンということのようだ。
食べてみると悪くないし、たいらげる。また来ても良いな、このお店。



時間もまだ早いし、さらにLehの街の土地勘をつけるためぶらぶらホテルまで歩いて帰るとする。
途中インターネットに出ていたほかの色々なホテルの前も通ってなんとなく街の感じはつかめてきた。