2011年4月30日土曜日

GW日本帰国でANA便初搭乗!


金曜日夜のANAの直行便で成田へ。ボーイング737でこんな長距離を飛べるのか?という感じだが実際にはビジネス約20席、エコノミー約20席のわずか40席ほどで、積み込む人間と荷物の少なさから長距離運行も可能なのかもしれない。
Jet Airwaysなどのインド国内便だと737は通常横6席だがこのANA便はエコノミーでも横4列でゆったりとしている。ビデオもオンデマンドで映画も見られるし、人数が少ないのでCAの目も行き届き快適だしラク。またムンバイを出る時間が早く直行であるため自宅への到着が10時半くらいでその日に出かけることができ1日得した気分になる。これは大きい。またエコノミーでも電源があってノートパソコンに充電できるのもポイント。
ただタイ航空=TG(バンコク経由)やシンガポール航空=SQ(シンガポール経由)と比べてダイレクトで近い分貯まるマイルは少なく半分近い約3000マイル。こればっかり使っていては ANAスーパーフライヤーズカード到達目標の年間5万マイルはほど遠い・・・。でもTGSQでは自宅到着は夜となり1日多く使えるメリットは大きいので今後もけっこうこのフライト使うかも。

2011年4月28日木曜日

初のチェンナイ出張


インド南部、タミルナドゥ州のチェンナイの顧客訪問のため日帰り出張。6時台のムンバイ空港は人がいっぱい。1時間半強でチェンナイへ到着。デリーやムンバイと違い、4-5番目の都市であるチェンナイの空の玄関はまだ改装工事があまり進んでおらず昔のショボいインドの空港の雰囲気が残っている。マレーシア駐在時代にインドを見に来てから8年ぶりのチェンナイ。空港を出るとフライオーバーが出来ていて多少は発展している印象。ただ今回はチェンナイの事務所や街中へ行く時間がなく8年前とのチェンナイの対比はできず。
クルマで約1時間半のところへある顧客を訪問。ムンバイ以上にムシムシして暑い。湿度が日本の夏並みに高く感じる。気温はそれ以上か?ミネラルウォーターは買ってあったが重いのでクルマにおいておいたら、クルマを駐車場においたまま3時間近く事務所・現場を回って特に昼食以降水分が取れない状態に。かなり脱水症状っぽくなりやばい!マレーシア時代はこれで体内の水分が不足し、喉がカラカラになりその後喉が痛くなり声が出なくなる風邪になる、ということを何度か経験している。
クルマに戻りとにかくミネラルウォーターを飲む。炎天下に駐車したクルマの中でお湯になったミネラルウォーターだったが構わずガバガバ飲んで少し落ち着いた。体は火照ったままだが水分は少し補給されてきた感じだ。
空港で降ろしてもらいチェックインすると「Delayed」の表示。こりゃダブルパンチだが仕方がない。ラウンジを探したがPriority Passで使えるラウンジはなし。国内線だとデリーだけが使える。
仕方なく通常の待合のベンチでパソコンでメールチェックをしながら待っていて、電源に近い席が空いたので移る。と隣に人が来て電源を取られた。席も変われというので「自分も後で電源を使うので場所は移らない」と告げとりあえずノートパソコンのバッテリーでメールチェックを続ける。しばらくして彼がパソコンを使い終わったので電源を刺してノートパソコンに充電していると、「Blackberryの充電器ないか?」と彼が言う。「充電器はないけどパソコンのUSBにつなくケーブルはある。僕のノートからtないでやろうか?」と答えると「助かった、貴方はAngelだ!」とのこと。
なかなか面白いヤツだと思い話をしているとムンバイの同じ地区にオフィスがある、とのことで名刺交換をした。「今度ランチを一緒に食べよう」と彼は言う。ホントにランチするかどうかは別にして、このへんの気さくなところがインド人らしい。しかし本来僕の後だった彼のフライトに先を越され、僕のフライトを待つ。結局1時間半遅れでムンバイ行きフライトに乗って帰った。日帰り出張はなかなかきつい。今回は急だったのと明日夜日本へ一時帰国するということもあり日帰りにしたが、次回は宿泊付で計画するとしよう。

2011年4月25日月曜日

Dinner & Dance


インド現地法人の2011年度のキックオフミーティングと夜はDinner。営業を中心に7-80名が集まる大規模なものになった。でも借りたホテルのBallroomが狭くテーブルもなく詰め詰め。こういうアレンジをしてしまうことろがインド。もうちょっと広めの部屋を借りれば良いのに・・。
夜はDinner & Danceということらしく、DJブースが設けられる。これは僕ら外国人には珍しい。オードブルらしきものをつまんでいるうちにアルコールが出される。ビールなどもあるがウォッカ、ジン、ラムなどのハードリカー中心。スクリュードライバーやジンライムなどをもらっているうちに急速に酔いが回る。そうこうしているうちに北エリアの営業を中心にダンスフロアに出だした!これが噂のインドダンスか!?と言ってもBollywood映画みたいにシンクロして見事に踊るわけでもなくみな勝手に踊っていて一見普通のディスコっぽい。ただ妙に両手を上げて踊ったりするのは盆踊りというか、沖縄のカチューシャというか、かなりアジアっぽい踊り方だ。曲によって盛り上がるのがあるらしく、だんだん酔いも手伝ってか踊る人も増え、西エリアのメンバーも参加し出す。僕ら日本人も真似して踊ってみる。16ビートや8ビートだと踊りやすいが時々変則的なビートがあってそういう曲は難しい。たまに洋楽も挟まれ、2月に来印した影響だろう、Bryan AdamsSummer of‘69がかかり僕もやたらと盛り上がってしまった。
ただ南エリアのメンバーは踊っている人は少なく、特にチェンナイのメンバーは皆無。どうもタミル人はシャイらしい。地域性やあるいは僕らの目に見えない彼らの意識の中での上下関係などが影響しているのかもしれない・・。
まあとにかく彼らにこれだけのパワーがあり、きっかけがあればそれらが出てくることがわかったことは収穫だった。まだまだヒヨっ子だと思うが、いかにうまくパワーを引き出して正しいベクトルに向かわせ、正しい活動を行わせるか。それができれば成功できそうな予感の持てた一日であった。

2011年4月23日土曜日

タージマハル観光+アグラ城+ファーテーブル・スィークリー

なかなか立派な列車でしょ

415分に目覚ましを鳴らして起床。着替えだけ済ませて445分にロビーで旅行会社のガイドさんと会って出発。ニューデリー駅近くでホテル2件寄ってあと4人をピックアップし駅へ。615分発の特急には少し時間あり、機関車を見たり別の列車を見に行ったりする。1等車は横4列だが僕らが乗ったのは2等車で新幹線と同じ横5列。まあ狭いというほどではなく、室内も昔の国鉄の特急みたいでトイレも臭いしそんなにきれいではないが、インド水準ではたぶんかなり良い列車のようだ。広州-香港の特急もこんなもんだったし、まあまあとしとこう。途中機内食みたいな朝食を出してくれたし、新聞ももってきたし、一応航空機レベルのサービスなんだろう。
遅れもなく2時間でAgraへ到着。後でわかるのだがこの2時間で到着するのは夢のようなことである。早速駅前でマイクロバスに乗り換えタージマハルへ。さすがにセキュリティチェックが厳しいらしくカメラ以外のほとんどのものはバスへ置いていくが水は供給された。そこからは電気自動車のバスで東門へ。男性のセキュリティチェックの列がやたら長い。何だかんだでバス駐車ポイントから4-50分かかってようやくタージマハルへ。

やたらとポーズを取りたがるインドのオネーちゃん
しかしそこは遠くからでも「これは違う」と感じさせるすごいものだった。インドの世界遺産はこれで7つ目となるが、今までのどれとも違う。大理石の白一色で完全シンメトリーのその建物はやはり世界トップクラス。世界遺産として比べてもアンコール、ボルブトゥールと並ぶ感動の大きさと言える。1時間ほどかけて中に入り、お妃タージマハルと5代皇帝シャー・ジャハーンの墓を見て、また建物の周りを2周ぐるぐるする。見れば見るほど美しさの虜になりいつまでも居てずーっといろいろな角度で眺めたくなる。特に裏の川とタージマハルの対比が美しい。本当ならば川を挟んで王の墓(黒いタージマハルとなる計画だった)ができるはずだったとのことで、それを想像しつつ当時の思いをはせる。
あっという間に時間がたち集合時間となる。自分で言い出した時間だったので文句が言えないがもっと時間を取るべきだった。でもこれほどのものを作り上げるとは、当時のインドの国力のすごさを見せ付けられた。単に産業革命後の200年ほどが欧米がリードしただけで、アジアはずーっと世界をリードしてきたのだとわかる。素晴らしい場所だった。
タージマハルを後ろ髪を引かれつつ後にしてアグラ城へ。3代にわたるムガール帝国国王の居城として君臨したこの場所はアクバル、ジャハーンギール、シャー・ジャハーン、それぞれの王の趣味で建築様式が変わる面白いもの。でもタージマハルを建てておきながら、実の息子にここに幽閉されたというシャー・ジャハーンの人生も悲しすぎる。16-17世紀の世界はどこでも肉親でも権力争いに明け暮れるそんなものだったのだろうか?その場所で思いをはせながらタージマハルを遠くから眺めると、これまた別の趣がある。
このテッペンから将棋の駒に命令して動かしたそうな
アグラ市内でツアーにつき物の大理石工房見学&即売を見た後、昼食を取り3つめの目的地ファーテーブル・スィークリーへ。ここはアグラからジャイプールへ行く高速の途中でなかなか来にくい場所にある。そのせいか来ている人はほとんどが外国人のツアー客。人間将棋の盤とそれをするために登ったという5階建ての建物がユニーク。奇跡的に子供を授かった3代皇帝アクバルが予言者に敬意を表しここを建てこの地に移り住んだのだという。でもラジャスターン州に入り砂漠地帯に近いこの場所は水不足で、そのために雨水を集めて活用する工夫がされていてすごいのだが、それでも水が足りずに結局はアグラ城に帰ることになったようだ。
さて僕らはここファーテーブル・スィークリーからアグラではなくデリーに帰らなければならない。約180kmの道のりだが、これがかなりすごい。アグラ-ジャイプールの高速からアグラ-デリーの高速へ向けて、途中をショートカットしていくのだが、途中道がほとんどなくなったかのようなところを通り、スピードが限りなく落ちる。ようやく高速に戻れたかと思いきや、途中の集落で高速なのに人がいっぱい渡ったり、渋滞したりしてやたらと時間がかかる。結局6時間ほどしてようやく帰り着いた。
たまたま行きは鉄道を使うツアーに乗っていたが、これはお勧め。でないと往復クルマでの日帰りは見る時間2-3時間、行きかえりそれぞれ5-6時間づつでほとんどマイクロバスを一日中乗っているだけのツアーになってしまう。本当は帰りも鉄道を使うのがベストと思う。ただアグラ出発が20時台でデリー着が23時頃と遅くなるのが欠点。アグラに一泊して翌日の午後にデリーにうまく戻れる列車が運行されると良いのだが・・・。やっぱり「must visit」な場所なだけに、アクセス交通の改善が望まれる。

写真

2011年4月22日金曜日

デリー観光(クトゥブ・ミナール+ラール・キラー)


イースターの週のGood Fridayの休日で休み。ヒンズー国であるがキリスト教の行事で休みがあるのだ。面白い。おとといからデリーに出張に来ていたのだが慌ててムンバイに帰る必要もなくホテルに延泊して今日はデリー観光することとする。2005年にデリーに出張したときにフマユーン廟は連れて行ってもらっているので、クトゥブ・ミナールとラール・キラーを見学することにする。まずはホテルから近いクトゥブ・ミナールへ。Metro2駅だがこのMetroがインドとは思えない超まともな駅と電車。高架駅で自動改札があってSuicaのようにタッチして改札を抜ける、電車もちゃんと自動ドアだしエアコンは入っているし。ムンバイではありえない。シンガポールとかクアラルンプールとかバンコクとか上海とかの水準。
クトゥブ・ミナール駅からはオートリキシャーで、50ルピーは安くない来もしたが観光地だしまあよしとする。近くまで来ると有名な塔が間近に見える。切符売り場窓口横に居たおっさんに「めちゃめちゃ高いな!」と文句を言いつつ外国人価格の250ルピーを払い入場。音声ガイドが含まれているのが幸いな点ではある。
有名な塔だけでなく、さらに高い塔を立てようとした跡だとか、モスクの後の遺跡だとかここクトゥブ・ミナールはなかなか見所のある場所である。遺跡好きなら気に居るのでは?という場所だった。
リキシャーでMetroに戻りOld Delhiの駅まで乗る。すぐ地下区間に入り乗客も増えてきた。地下部分でも携帯の電波はしっかり届きなかなかやるなー。一応IT大国だもんね。
3-40分してOld Delhiの駅から地上に出ると、そこはごちゃごちゃとした旧市街。これは僕の知っているインド。ムンバイと似た感じ。そこからラール・キラーまで途中Vegitarian Restaurantで昼食をとりながら歩く。ラール・キラーのハイライトは入り口の門だった。中に入ってしまうと王の閲覧場所だとか見るところはあるが、まあそんな感じかってところ。中はだだっ広く、日本の城よりも西洋の城に近い形式な気がする。それでか、昔函館で行った五稜郭を思い出した。
ラール・キラーを後にしてジャマー・マスジットへ。ここは古いモスク。ムスリムでなくても見学自由なようで中へ入ってみる。親切にカメラを撮ってくれたおっさんが居たが、やはり!チップを請求された。100ルピー渡し外へ出るが、靴を脱いだところでも別のおっさんが「くつを見ていたやったから」とチップを請求。観光地はやたらとこれだ。無料(タダ)の親切なんかあるわけがないのだった・・。
来た道を戻ってもしゃーないし、New Delhiに近づきたく反対側の門からOld Delhiの旧市街へ出て、「こっち」と思う方向へ歩く。細い道の商店街が延々と続く。いつまで立っても出られそうな感じがしなくなってきた。それでもひたすら行くうちに広いとおりに近づいてきた。ここらでリキシャーを拾い、インド門近くの国立博物館へ。インドらしく一部工事中だったりするが、ムンバイの博物館同様置いてあるヒンズーの神々の像が素晴らしい。
夜はコンノートプレイスへ行ってみる。丸くなった建物の店自体は特段面白くもないが、近くの地下街が怪しげで良い。ゲームソフト、パソコンソフト、DVDなどを扱っていてクアラルンプールのプラザローヤットなどを思い出す、アジアな感じのところ。BlueRayのディスクを試しに3枚買ってみる。ちなみに後で帰宅して再生してみたらBlueRayでも何でもなくてDVDだし、2枚は不良品で再生できないし、マレーシアのPasar MalamDVD屋と一緒・・。こんなところで買って値切り方がアマかった自分がバカ。まあ授業料だな・・。
ところでムンバイにはこういう怪しげなところはどこにあるのだろうか?やっぱアジアっぽいこういうところも時々行って宝探し(?)したくなる。
超早起きの明日に備えてほどほどでホテルへ引き上げる、がMetroが遅れだした・・・。結果的にはひどい遅れではなかったが、いくら見た目はまともでも、でっかいおっさんが座席の狭い隙間に無理やり座ってくるし、電車は遅れるしで、「Metroもやっぱりインドだ」と実感しながらホテルに帰る羽目になった・・。

2011年4月17日日曜日

佐藤栄佐久前福島県知事(仏ル・モンド紙)のインタビューを読んで

僕が郡山在住だった頃(95−00年)の知事の佐藤栄佐久氏のインタビューが出ていた。

なんか収賄事件で辞めさせられた記憶があったけど、ひょっとして原発政策に反対して検察を使って替えられた?(全くの推測) モチロン全くのシロではないんだろうけど、叩けばほこりが出るのは政治家なら誰もがまあ同じでしょ。原発反対がトリガになったかな。
なんか日本国もけっこうコワイ気がする。斉藤和義のYoutubeもやたらと削除されるらしいし。民主主義は表面だけ? インドのほうが汚職ありまくりだけど民主主義はホントに民主主義な感じ。だからまとまんなくて遅々として進まないことが多すぎたりもするんだけど。

2011年4月16日土曜日

Hard Rock Cafe Mumbai


High street Phoenixで買い物を終えて、夕食を取りにHard Rock Cafeへ行く。7時半をすぎて間もないくらいでまだ満員までは行かない。
 
店の中は「インド」ではなく「ロック」。バーガーやステーキやファヒータなどのアメリカ料理を安く楽しめる。(一品料理:350-450ルピー程度=700−900円) 場所もSouthの一番北のほうなので僕の家や会社からもSouthのど真ん中のCorabaNariman Pointと比べるとはるかに近い。うまくすればライブもあるし、けっこう利用価値有り。

出る頃(9時過ぎ)には満席になり、スタンドのバーもいっぱい。週末行くなら早い目に入店することをオススメする。

西インド競馬場(Royal West india Tarf Club)を試す

CorabaにあるTetsuで食事をした後High street Phoenix へ行く途中西インド競馬場の横を通ると人が多く入っていく。どうもレースがあるようなのでちょっと観に行くことにした。入場料は20ルピー。競馬新聞みたいなのを3種類くらい売っていてこれが15ルピー。3時半から6時半までで6レースあるようだ。

入場すると黒板みたいなのに各競馬新聞による予想一覧みたいなのが出ていてみんなそれを自分の競馬新聞に写し取っているようだ。携帯は持ち込み禁止なようで入場してすぐ右側にあるところに預けて札をもらう。

こちらの買い方を理解するためにとりあえず馬券を買ってみることにする。日本のようにマークシートで自動で買うわけではなく、窓口でおっちゃんに告げる。「第1レースで6番の馬を買いたい」と告げると、「WinPlaceか?」と聞いてくる。どうやら「単勝か?複勝か?」と聞いているらしい。何かわからんけどとりあえず当たったほうがうれしいし複勝にしておく。馬券が発行されるとおっちゃんが「Good Luck!」と握手してくれた。馬券買う人みんなにこうするんだろうか?それとも500ルピー買ったのが大きかったのだろうか?面白い。

パドックに移動してみていると馬が出てきた。ちゃんと番号通りに出てくるわけでもなくとりあえず歩き出した順から連れてきましたって感じ。8頭で揃ってそのままコースへ。日本みたいに地下に通路があるわけでもなく、地上をそのまま行く。僕もコースへ移動しスタンド上部へ。土曜日でたぶん大したレースではないらしく人はまばら。1−2割の入りってところか?犬も寝てたりするところがインドらしい。

そうこうしているうちにスタートに揃いレース開始。中山と同じまわり方だ。芝を8頭が駆ける。ビジョンにもちゃんと表示もされ、4コーナを回って直線に入って本命の6番が出て来て歓声が大きくなる。このへんは万国共通なんだろう。結局6番が買った。で予定通り払い戻しのやりかたをチェック。単に勝ち馬券を「Pay」と書いてある窓口に持っていくだけで良かった。複勝なので11倍しか付かず550ルピーが戻ってくる。まあやり方がちょっとわかっただけでも良しとしよう。

ちなみに単勝と複勝は100ルピーから、連勝は10ルピーから買えるようだ。少しやり方もわかったので1レースだけでやめてPhoenixへ買い物へ向かうことにして預けていた携帯を受け取ってけ競馬場を後にした・・。

2011年4月14日木曜日

ハエ・蚊との戦い(?)


家族が来たときに「大きなハエがいる」と騒いで、そこでかなり大きなハエがいることに気づいた。それまでもショウジョウバエらしいのが結構いることはわかっていが大きなハエは気付かなかった。

家族が帰国後台所で3匹を退治し、別の朝にはリビングの窓際に4匹居ることがわかり殺虫剤をまいて退治した。子供の頃はイエバエは結構良くいたことを思い出した。今は日本でハエをすごく見なくなっているので子供たちの虫嫌いが加速している気がする。

家の中には居てほしくないので退治するが、ここインドでは昔の日本のように当たり前にそこら中にハエが居る。レストランなんかでもハエが飛んでたりするがあまり誰も気にしていない。それだけ小さい頃から居るのが当たり前でどうもないんだろう。

3月終わりくらいから蚊も増えてきた。クルマの中に良くいて通勤途中にかなり撃墜した。オフィスでも結構飛んでいる。一部の蚊はマラリヤやデング熱を媒介するので気を付けないと・・・。

2011年4月13日水曜日

良いメイドさんに恵まれたみたい


週に3回の契約でメイドさんが来始めた。最初は不動産業者が約束のアイロン台・アイロンを準備していなかったり掃除道具がなかったりしたが、それらを整えてからはすこぶる順調な仕事ぶり。床だけでなくソファを含めた家具もきれいになっているし、洗濯もちゃんとしてシャツはアイロンをかけておいてくれるし、頼んでない食器も片付けてくれている。週に一度はベッドのシーツも替えてくれるし、なかなかの仕事ぶりである。

平日は顔を合わせることがないため、ノートを作って来た日の開始時間・終了時間とサインをもらうことにして、そこにメッセージを残すことにした。それで「スーツにアイロンをかけて」と頼んでおいたのだがクリーニングに出してしまった・・。そこまでしなくても船便で送る中でついたシワなのでちょっとアイロンで良かったのだけど・・。なかなかコミュニケーションの難しさはあるな・・・。

まあ総じてマルなので多少のことは仕方がない、ワイシャツを出しにクリーニング店へ行かなくても良くなったし週末にまとめて掃除をしなくても良くなってずいぶんラクになった。いいメイドさんが見つかって、運が良かったと言えそう。

2011年4月11日月曜日

アパートのジムを使い始めた。


ジムの使い方がわかった。ガードマンに言えば開けてくれる。たったそれだけだった。

後は室内専用靴が必要で、入場後ノートに開始時間・終了時間・サインをすればOK

ウォーキングマシン、サイクリングマシン、その他あり1時間あまりそれぞれのマシンを試してみて汗をいっぱいかいた。平日夜に30分くらいでも汗を流すと良いかも。

2011年4月10日日曜日

週末軽いめサイクリング


会社の同僚と朝のサイクリングを始めた。と言っても軽いもので、日曜日の7時半くらいから3040分住んでいるBandra地区の主に海岸沿いを走る。週末の朝はさすがにクルマも少なく走りやすい。ウォーキングする人なども居てインドでもけっこう健康に気を使っている人が多いことがわかる。朝は干潮に当たるらしく潮の引いた海で何やら拾っている人たちもいる。

ただどことなく海が臭いのはあまり海がきれいではないということか? 走っているとなんとなく埃っぽくときどき目に入りそうになるのもインドらしいところ。

何にせよ340分走ると結構汗をかいてイイ運動だ。せっかく日本から送ってきた自転車だし出来る日は続けたい。

2011年4月5日火曜日

インド帰りの家族が下痢に。そんなインドが日本食品全面禁止!?

インドから東京へ帰った家族。帰る前からあまりお腹の調子がよくなかったが結局帰国後全員が下痢に。そんな悪いものをとったはずはないんだけど、ウチの麦茶かなあ?
僕は出張も含めこれまでインドで下痢になったことはない。学生の時の初めてのタイでひどい嘔吐と下痢になり、あとインドネシア出張の2回目で下痢になったくらい。それらを通してアジアの菌への免疫ができているのか?
家族もマレーシアに居て、周辺国も色々旅行はしたのだが5年間の日本のクリーン生活が免疫をなくしているのか、普通は日本人誰もがそうなるのがたまたま僕が大丈夫なだけか??

こんなインドの衛生状況だが、なななんんと、日本食品輸入全面禁止だと!!どっちがアブないねん!
と言いたいところだが、放射能にビビっているのだろうか。日本からの到着便の手荷物もロクに調べもしなかったのにこの措置は何なんでしょうね。
しかし現実としてGWに帰国してついでに色々食品を持って帰ろうと思っていたのに、どうなるんやろ?空港で全部捨てさせる気か!?こんな状況に対して会社として何のサポートもないんやろうな・・。やれやれ。

2011年4月3日日曜日

そして家族は東京へ・・・

今朝起きると長女と妻が「お腹がいたい」とのこと。どうもお腹を壊したよう。ホテルの食事がいけないのか?僕のアパートで飲んだ麦茶か何かか?昨日入ったプールの水が汚かったのか?
原因は不明だけど少々”インド疲れ”が出てきたのかもしれない。昨日もムンバイの空港までの途中、レンタル赤ちゃんを連れた物乞いがクルマの外からさかんに「恵んでください」と来ていたので、慣れていないとけっこうしんどい思いをしたのだろう。僕なんかはドライに「また来た」「どうせ金をあげてもシンジケートに巻き上げられるだけで意味ないので無視しておこう」とやり過ごすのだが。

というわけでデリー観光をとりやめLate Check Outにしてホテルでゆっくり過ごすことにした。
ここのホテルはインドでは珍しく、NHK World(海外向け英語放送)もNHK World Premium(海外向け日本語放送)も放映している。マレーシア、シンガポールでは当たり前でもインドではなかなかすごい。見てるとやっぱりアパートでもNHKを視聴できるようにしたくなる。帰宅したらムンバイでNHKを放映しているケーブルテレビなどないか調べてみよう。

家族のデリーの感想は、「ムンバイとは全然違う。ここなら学校のことを別とすれば住めなくはない」だった。まあ空港からホテルだけしか通っておらず、政府機関、大使館、最近新しくなった空港、できたばかりのメトロと、インドにしてはえらいきれいなところばっかりなので無理もない。でも確かにマレーシアはこんな感じではあったな。やっぱり一般的には日本人にとってインドは住むには厳しい、特にデリー以外は、ってところなのかも。

出国手続中
若干家族の体調もマシになりホテルのクルマで空港へ。チェックインし、出国手続きをする家族を見送る。楽しい一週間はあっという間に終わった。家族がインドの現実を実際に見ても「一緒にインドで住む」ということにはなりそうにない。まあ長期休みに遊び来てくれれば十分。たまにインドで過ごすことも娘たちには視野を広げる良い機会にはなると思う。

2011年4月2日土曜日

第10回クリケットワールドカップでインドが28年ぶりの優勝!

ムンバイでクリケットワールドカップの決勝戦インド-スリランカ戦が実施され、劇的な幕切れ(野球で言うとサヨナラ満塁ホームラン)でインドの勝利!

デリーのホテルに家族と泊まっていたんだけどホテル中がワーッとなって、吹き抜けからロビーを見下ろすと観戦していた人たちが大喜びをしている。
窓の外を見ると街中打ち上げ花火で彩られている。無数の花火、花火、花火。
ホテル近くのランナバウトがスタック
近くの道路では鳴り物鳴らしての大騒ぎも開始!ランナバウトがすっかり駐車場と化していてクルマは動かないようだ。

1983年以来28年ぶりの優勝、クリケットワールドカップカップ史上初の開催国の決勝戦での優勝、長嶋茂雄級の大スター、サチン・テンドゥルカルが遂にワールドカップ優勝のタイトルを手に、など色々あってインドの人たちには本当にうれしい優勝であるようだ。

まあインド在住外国人としては、ここで敗れて暴動になどなると一番嫌なのでメデタイ終わり方は良かった良かった。

2011年4月1日金曜日

Taj Lands Endへ食事に

今日はクリケットの試合もなく平穏なので夕食に出かけることにした。アパートの近くでアラビア海に面したホテルTaj Lands Endへ行きインド料理レストランMasala Bayで食事とする。一緒に頼んだインドワインSulaのロゼもおいしく、食事が進む。
同じTajグループのホテルなので月曜日にランチしたのと似た感じの料理。店の名前も似ているか。月曜日に長女の気に入ったTandri Pink Salmonがあり今日も頼む。
なかなかおいしいし海沿いのホテルなのでどこかリゾートっぽい雰囲気がありなかなか良い。食事後プールを散策しリゾート気分を味わいアパートへ帰る。なかなか楽しいひとときとなった。