2011年3月31日木曜日

クリケットワールドカップ準決勝で、インドがパキスタンに快勝!

今日は家族をアパートに置いて出社。朝ドライバーが今日は何時に帰るか?気にしている。今夜の試合を見たいらしい。「今日は早く帰るよ」と安心させる。実際こんな日に食事に出かけても何が起こるやわからんので、家で食事をする予定にする。
夕食後TVをクリケットに合わせてみていると、インドがパキスタンに快勝し決勝進出を決定した。
途端にムンバイの街中打ち上げ花火が上がりまくり。絶対許可もなく勝手に上げている。
花火大会で上げるような本格的な花火がそこら中で上がっていて、こんな景色は見たことがない!

2011年3月30日水曜日

家族で日常生活っぽく過ごしてみる

Bollywoodの本場でもあるしFilm Cityへ行こうかなどと考えていたが、家族は昨日けっこうMumbaiのSouthを回ったのでもう十分という感じ、で今日はOberoi Mallだけにする。昼食はRajdhaniというグジャラート州やラジャスタン州の伝統的な食事のレストランにする。金属製の皿にくぼみがあり、そこへ色々な料理を盛ってくれる。無くなると「おかわりは?」とどんどん持ってくるのでお腹はいっぱい。ただ次女にはちょっと辛かったらしく、ライスとチャパティ以外はあんまり食べてなかった。味はイイんだけどね。

出かけるとき鍵を持つのを忘れオートロックで閉まっていたのを、不動産業者に来てもらい開けてもらう。ただタイミングがずれ、15分ほど外で待つことに。
帰ってからはアパートでゆっくりとする。アパートの中自体は気に入ってくれているらしい。近くの食品スーパーNature's Basketにも行って、明日から3日間出社する間、一応は買い物もできるようにした。

でも鍵閉じ込め事件は「またあったらどう対処して良いかわからない?」って感じでちょっと辛かったか?

2011年3月28日月曜日

ムンバイの中心部を家族に見せる。

案外早くみんな起きた。11時から出かける予定にしていたが早起きしたので近くの食品スーパーNature's Basketへ子供たちを連れて買い物。Nature's Basket自体は良いようだが、行く道が「怖い・汚い」とのこと。Bandraなので比較的良い方なのだが日本のレベルからいきなりアパートの周りを歩くとそういう感想になるかもしれない。

朝食もスムーズに終わったので、ムンバイのSouthへ出かける。CSTとインド門を見るが、インド門ではローカルのインド人家族になぜか「一緒に写真を取ってください」と頼まれ一緒に入る。外国人が珍しいのかな?
いい気になっていると、物売りが寄ってきて子供たちの腕に勝手に花輪をつけた。どうせ金が目的と思い、花輪を返すのも何なので妻も含めて3人分の花代として100ルピー(約200円)を渡すと、「1本100ルピーであと200ルピーくれ」という。さすがに頭に来て「だったら返す。いらんもんつけるな!」とやると、「もういい」と引き下がった。ちょっと甘い顔をするとすぐにずうずうしく来るので困る。
これはかなりの悪印象だったようだ。

せかっくのなのでおいしいインド料理をランチにと思い、そのまますぐ隣のTaj Mahar Palace HotelMasara Kraftというインド料理レストランへ。上品なインテリアとサービス、味と言う事なし。一人アタマ日本円で3000円程度かかったがインドでトップのホテルでの食事でこれならナットク。

もう少し博物館か、他のホテルのアーケードを回ろうかと思ったが少し疲れてきたようなので、High Street Phoenixへ行ってZARAを見る。最近娘たちはZARAの服がお気に入りで、インドでの品揃えを見たいらしい。取っ換え引っ換え試着室へ持ち込み、娘2人と妻とが買い物をしてPhoenixを後にする。

夕食は家で取ることにして久々に洋風ごった煮スープを作る。ただチキンのつもりで買った肉がマトンで、マトン嫌いの妻は食べてくれず、失敗・・・。味は悪くなかったのだが。

2011年3月27日日曜日

春休みを利用して家族がムンバイへ

春休みを利用して家族がムンバイへ来た。
デリー空港
JALのマイレージを利用してデリーへ、着く前に僕もデリーへ行って迎えた。放射能検査を実施しているとの情報もあり、入国にかなり時間がかかるかと思ったがあっさりと一番乗りでやってきた。
デリーからムンバイへはチェックインに時間がかかるとの噂のエアーインディアだったがこれもスンナリ行き、疲れた家族を連れてエアポートラウンジへ。
2時間のフライト後、ムンバイへ到着。エアーインディアの着くターミナルはあまりきれいではなく印象が悪いか?
日本時間では深夜でありアパートに着いてシャワーだけで寝る。さすがに疲れたか?

2ヶ月が経っての生活面整備状況

1月27日に赴任してから2ヶ月が経った。生活面でどこまで準備できたか、を確認してみた。

できたこと。

インドにしては2ヶ月でかなり色々準備できたほうかな?
日本からの航空便、船便と来るたびに通関のためにパスポートを預けて、その間ムンバイを離れられず不便をしたけど、ようやく国内出張/旅行にも動けるようなった。

まだできていないこと。
  • メイドの雇用
  • ケータイのデータ通信(メール、ノーツへのアクセス他Blackberryのスマートフォンとしての機能全般)
  • ケータイの海外でのローミング
  • ムンバイ以外の地域(デリーなど)からの、ケータイによる国際電話の架電 
  • 個人クレジットカード作成
  • コーポレートクレジットカードの作成
  • アパートのジムの使い方(鍵がかかったまま・・)
それでもまだなことも多い。あと1ヶ月でどこまで整うだろうか・・・。

2011年3月26日土曜日

メイドさんと面接

木曜日に帰宅するとアパートの不動産業者の日本人担当者がアパートの玄関に居た。何でも下の階に日本人学校の先生ご家族が入居するらしい。
そんで彼にあいさつすると「メイドさんが見つかった」と言う。で土曜日の10:00に面接することになった。そろそろかなと思って待っていたが10時を過ぎてもベルがならない。20分過ぎたところで不動産業者にSMSした。それでも来ず、「こんな時間にルーズなやつは雇うのは辞めよう」と思っているところへ30分を過ぎてようやくベルが。

玄関のドアを開けると50を過ぎている?と思われるオバサンで、とりあえず話を開始する。僕からのお願いしたい内容として掃除、洗濯、アイロンがけという話と、毎日は必要ないので2日に1回で良いと話をする。賃金は週3日なのでこんなもんかなということで月額3000ルピーを提示すると、渋々という感じで承知した。で、鍵をどうするか、掃除道具やアイロンをどうするかと思って不動産業者に電話をして、それぞれ彼の方で準備することを確認し賃金についても聞いてみたら、「それは安いですねー、遠くから来ているし」とのことだった。
で交通費を聞いて近くの別のお客にも来ているようなので月の定期代の半額、1000ルピーを出すことにして月4000ルピーでスタートすることにした。4月に入って実際仕事を開始してもらうので、仕事の状況を見ながらきちんとやる人だったら、先々で仕事内容も増やしながら賃金アップも考えていこうと思う。

2011年3月23日水曜日

日本を60Hzに統一する絶好の機会

近鉄電車は昔大阪線が1435mm、と名古屋線は1067mmと線路の幅が異なり、三重県の伊勢中川駅で乗り換えないと大阪ー名古屋間を行けなかったそうである。しかし伊勢湾台風からの復旧を機に一気に大阪側に合わせて1435mmにし、今につながる名阪特急などを生み出した。

ムンバイは滅多にないが、デリーに出張すると当たり前に毎日停電が数回ある。これは需要に対し供給が足りていないのが要因だが、日本と同様地域により周波数が異なるらしく融通がしにくい面もあるのかもしれない。

そうやって聞くと先進国である日本の電力事情が、供給不足も含めてインドに非常に似ている。このまま50Hzと60Hzを残しておいて良いのだろうか?危機対応を含めて統一するべきだし、それを行うならば今を置いて他にない。思い切って進めるべきではないだろうか?

2011年3月19日土曜日

船便が届いたー!

昨日の最終確認で午後2時に船便が届く予定。可能であればもう少し早く、という話になっていたが、12時20分頃ベルが鳴る。ちょうど日本の自宅とSkypeつなぎっぱなしのところだった。
今からOK、と回答すると5−6人の引越し要員たちは下へ荷物を取りに降りる。10分くらいして上がってきた。本はこっち、衣類はこっちと指示をしながらダンボールを置いていってもらう。一通り分配が終わると今度は開封。一部のスーツ・コートがクシャクシャなのが眼に入る・・。これって日本で詰めてもらった時が原因だよね・・。自分できれいにやりゃーよかった。
1時間強で取り敢えず作業を終了し引き上げて行った。来た時間も早いし作業もなかなか手馴れていて早いしきれい。インドでは◎のQualityだな。

ちょっと自分の空間らしく・・
自分の衣類や本、自転車などが出てきて、並べ直したりしながらアパートがより自分の空間になった気がする。

これでまだ不足しているものは明日買出しに行きたいが、「Color Festival」とやらで、水鉄砲で塗料を溶かした水を掛け合うらしく、服を捨てなければならなくなりそうなのでおとなしく家に居ることにする。追加で買いたいものはまた別の日にしよう。

2011年3月18日金曜日

3週間弱遅れてようやく新オフィスへ・・・

3月アタマから入居するはずだった新オフィスへようやく今日から出社。遅れた主な要因は前に書いたとおり、地方政府、警察、ビル会社、内装業者などがグルになって工事を止めて金を巻き上げるというヤクザまがいの行為を働いたせい。

お祈りをするお坊さん
 兎にも角にも新しいオフィスで、テープカットをし、お昼ごろにヒンズー教のお坊さんが来て、縁起のいい方向である東に向かって祈る。ガネーシャの額を置いてその前に色々お供え物をして、お経みたいなのをずーっと唱えている。僕も近くに座らせれてずっと聞いていたが、まあ法事みたいなもんだな。正座せずにあぐらで良い分ラクと言えばラク。唱えているのもお経っぽくて耳慣れた感じ。というかお経のルーツがインドだから似ているのだろう。そういう意味ではお経って、インド→中国→(韓国)→日本と伝わっている中でも比較的原型を留めているのかもしれない。

僕のデスクを清めるお坊さん
儀式が終わって席に戻って座っていると、お坊さんが各席に回ってきて、お祈りをしつつ赤い卍と、各人の額に赤いのを付けて回った。僕もインド人のように額に赤いのを付けて今日一日を過ごした。

当然のごとく、インターネットはつながると言っていたのが接続できないなど、まともな状態になるにはどうせまだ1週間〜10日はかかるのだろうが、グレードアップしたオフィスに入れたこと、この2ヶ月近く席もなく会議室に座らされていたのから解放されてようやく自分のデスクができたことなど、ちょっとホッとする。前の事務所はトイレも汚いし臭いし、それもちょっと困り物だったのでこれで落ち着くな。

2011年3月16日水曜日

ようやくTVとホームシアターがちゃんと設置された・・約1ヶ月

TVがアパートに来てどのくらいたったのだろう。
たぶん3週間を過ぎてそろそろ1ヶ月になろうとしていると思うが、最初はただTVだけ壁に掛けただけ。
その後ホームシアターシステムのスピーカーをつなぐよう要請しても、ただつないだだけで壁にかけるはずのスピーカーはポンとTV台に置いたまま。
業者は来ると言っておきながら来ず来ると言っていないのに僕が外出中に来て「だれもいない」と文句は言う、挙句の果てに先週の土曜日に来たはいいけど設置担当の業者と一緒に来ず「俺はケーブル接続専門だ」などと宣う。僕は「ちゃんとスピーカを壁にかけて接続もしてくれ」と言っているにもかかわらずだ。一緒に来い!ちゅーの。

やっとそれらしくなったTV&ホームシアター
その業者にもう一度どうしたいかを説明して、それだけでは不安なので業者を取りまとめているローカル不動産業者に勤める日本人にも何をしたいか念のため説明をして、「来週月、火に来ます」、と約束をさせた。結果火、水(1日遅れ・・、まあインドでは良い方)の2日間でスピーカの壁への設置と頼んでいたTATAのやっているケーブルテレビのハイヴィジョン化が完了した。
いくら言っても汚らしくブラブラしていたケーブル類は自分で以前日本のIKEAで買ったケーブルをまとめるものなので多少アレンジしてやっと少しスッキリとした。やれやれ。

それにしてもそれなりに高いTVホームシアターを買っているのに、このプアな設置では価格に見合わない設置品質だ。全く”Quality”ということがわからん人たちなのである。

2011年3月15日火曜日

固定のドライバーさんが決まった

昨日まではずっとテンポラリのドライバーさんだったが、今日からクルマ(Toyota Innova)もドライバーも決定した。今までのおっちゃんドライバーさんも落ち着いていて気に入っていたが、今度のお兄ちゃんPramodくんも、割と英語が話せて割とちゃんとしてそう。良いドライバーさんであって欲しい・・・。
クルマも昔のToyota Qualis(インドネシアで走り回っていたKijang)に比べると乗り心地がずいぶん改善されていて、よっぽど悪路でない限りは悪くない。
足がちゃんと確保できたことは助かる。

2011年3月14日月曜日

インドで震災後の日本の復興について考える

金曜日にも会社でインド人スタッフに「日本の家族は大丈夫か?」と心配され、週末はFacebookLinkedinなどのSNSでカナダやフランスやマレーシアやら色々メッセージをもらっていたが、今日も会社でインド人のスタッフから「今回の地震・津波に関して心配している、祈っている」と言われ、また以前居たマレーシア人のスタッフからもいくつかメッセージのメールを受けた。

みんな「できるだけ多くの人が助かるように祈っている」、というのと同時に、「日本は必ず復興できる。何よりそれだけの技術力と資金力がある」と言ってくれる。

会社からの帰り道にスラムを見ていると、日本の地震の避難所も固い床に寝て、トイレは(たぶん)流す水もなくヒドイ状況だろうことが想像がつく。ある意味道路で寝てたり、スラムに住んでいたりするインドの姿が人間の生活の原型に近く、普段は文化的生活をしている日本も家を奪われライフラインがなくなると同じような生活になってしまうということだ。

今、目の前では原発の危機的状況が続いており、その被害を最小にすることが重要だが、少し先を見ると、不足している電力をどう手当てするかが肝要になる。
単純に使えなくなった原発の代替としてまた原発を建設するとしたら、今回のことを踏まえると福島県が受け入れるとも思えず、かといって他府県もまず断るだろう。つまり原発の再建設はかなり困難である。
かといって火力発電所となると、CO2の排出、燃料の高騰および調達の困難さなど、課題が多く現実的ではない。

かといってこのままの不足した状態での電力供給でインド(特にデリー周辺)のように突然の停電が毎日あることが当たり前の生活や、避難しながらまるでスラムのような生活をし続けることは、日本人に受け入れられることではない。

そこで僕が考えるのが今回を機会と捉え、新たな方法で電力需要に対応することである。ピークに合わせて発電所を建設する従来の方法を取るのではなく、ピークに必要な電力を蓄電し、ピーク時には放電して対応することである。日本のリチウムイオン電池は韓国に追いつかれてきたとはいえまだ技術的には一日の長はあるし、大規模な需要には日本ガイシのNAS電池という中東では実施済みの対応方法もある。すでに幾つかの実証実験(つくばけいはんな)は走っているし、日産・旭化成や三菱グループなどいくつかのグループでEVと中古のリチウムイオン電池での蓄電、太陽光発電などの組み合わせを事業モデル化しようとしている。

復旧に必要な予算を単純な発電所建設に使うのではなく、新たな蓄電方法と、一部のクリーンな発電方法 ー太陽光発電、風力発電、燃料電池発電ー を組み合わせるものを世界に先駆けて本格導入するのだ。新エネルギーとスマートグリッドの実践だ。従来の電力会社、特に東京電力は自分たちでコントロールしきれなくなることに難色を示すだろうが、かといって今回原発や計画停電でかなりの批判を受けており、世論がこの方式に傾けば一気に持っていくことができるように思う。ピーク時とボトム時の電力需要の差が30%以上あり、蓄電に必要な設備投資が原発への設備投資と同等で蓄電によってピークの30%をカットできるのであれば成り立つ話だ。

どこの国も、特に中国やインドなどの新興国は増加し続ける電力需要には悩んでおり原発の建設を計画していることもあり、今回の原発事故には注目している。当座の解決策としては原発プロジェクトは進めるのだろうが、一方で彼らは日本でさえ事故を起こしてしまったものを、自分たちが管理しきれなくなることも本音部分ではわかっているだろう。
そこで日本が自らが実験台となり新エネルギーシステムを成功させ、世界に示すのだ。日本で実績のできたシステムは各国で導入され、結果として日本企業は震災での生産休止などでの一時的な低迷を脱し復活するだろう。

国家としてこの政策を推し進めるのは今を置いて他にない。宮田秀明東大教授を推進役に指名してぜひ検討してもらいたいものだ。そのぐらいの英断ができれば民主党政権も見直されると思うのだが。

2011年3月12日土曜日

電車にトライ!なかなかの体験

ヴィクトリア駅近くにある電気街というか問屋屋街を一度見ておこうと思いでかけた。どうせ駅近くなので一度電車を試すことにする。家から15−20分くらい歩いてBandra駅へ行く。ちょうど駅の横のスラム街が先週火事で焼けたところらしく、テント小屋っぽくなっている。
切符の窓口で「Victoria Terminus」って言うと「今はそうは言わん、Chhatrapati Shivaji Terminus、略してCSTって呼ぶ」と言われた。「はあそうですか」と言いながら一等車を取ってもらう。52ルピー、約100円強。20km強あるはずだから、まあそんなもんかな。ホームに行ってスラムを眺めながら電車を待つ。女の子が尻を丸出しにして線路近くに大をして、長ーいの出てきたのには参った。しかもそのままふくでもなくちょっとづつズボンを上げて立ち去っていった。スラムドッグ$ミリオネアに出演していたルビーナ・アリちゃんもあんな感じで用を足していたのだろうか・・・。

そうこうしているうちにCST行きが来たので乗り込む。さすがに一等はガラガラだな、と思っているとおばさんが、「これは女性専用車よ!」と言う。「はあ?」と思いつつ仕方なく「Sorry」と言いながら降りたら電車が動き出して乗れなくなってしまった。やられた・・。
あきらめて次に発車する始発の列車の一等車に男が居るのを確認してから乗る。一等車と言っても冷房もないし、なにが一等なのかはよくわからん。一応シートが革っぽい??
思ったよりも駅間距離が短く、かなりたくさん停車する。8−9駅くらい行ってようやくCSTへ到着。所要時間32−3分ってところ。

まだ完全に止まっていないのに空きっぱなしの乗降口からおっさんが飛び降りる。そんなにあわてんでも・・・・。CST(ヴィクトリア駅) は終着駅らしく車止めがあるホームが6つくらいあって、そこに列車が止まっているとなかなか旅情がある。これは日本も欧州もインドも同じ感じだ。アブない、という話もあったが確かに一部に乞食っぽい人もいたが、まあ人が集まる駅というのはこういうもんだろう。スリに気を配ってさえいれば電車も乗れないことはないと感じた。ちょっと前の上野駅もそういうこと言われてたような気もする。まあ古今東西終着駅は同じようなもんだろ。

駅から10−15分ほど歩いて問屋街へ。といってもアキバほどの電気街っぽさが感じられない。うろうろしているうちにだんだんどのへんが電気街、問屋街かわかってきた。そうすると確かに産業用の電気器具、消費者向けの電気器具など並ぶ地区がある。見て回ると想定していた欧州メーカというよりかは、案外ローカルメーカとアジアメーカが扱われていることがわかる。台湾・韓国メーカがそこそこ並んでいるところを見ると我々が入るスキもありそう。と言ってもこっちの価格にどれだけ近づけるかが課題かな。トヨタのエティオスを見習った戦略が必要か?

問屋街を抜けて、ああ駅に戻った?と思うとそこは中央市場だった。ここも一見立派な歴史ある建物。せっかくなのでブラブラ見てまわる。もうちょっとマレーシアのウェットマーケットっぽいビショビショな感じを予想したが、夕方だったせいか肉・魚はもう扱っておらずそれほどビショビショ感はなく僕はそれほど不潔とは思わなかった。

市場を後にして歩いて行くとヴィクトリア駅が目に入って来る。切符売り場で「Bandra」と告げて100ルピー札を出すと「もっと細かいのないか?」と言うが「ない」と押しきると妙に釣りが多い。一等と言わなかったので二等車に乗ったと気づいた。わずか11ルピー(20円くらい)だ。一等の1/4以下。始発駅なので座っていける。確かに椅子は木製で差はあるが、一等車に5倍近い価値があるのか??
そう思っているうちにヴィクトリア駅を出発し次の駅に着く。何かえらいいっぱい人が乗ってくる。また次の駅。まだ止まっていないのにもう空きっぱなしの乗降口から乗ってくる。なんか気づくと人はいっぱいだし、こっちの椅子もなんか3人がけに4人も座っていてえらい狭い。うーん、これが二等車ってことなのね!?ようやく一等車の価値がわかってきた。こうなってくるとちゃんと目的の駅で降りられるのかどうかが問題になってくる。どうやら降りる一つ前の駅を出ると席を立ち、出口方面へ行くのが通常のパターンらしい。一生懸命外の景色を見ていると何となく見たことのある看板やなんかが眼に入る。これはきっと次だ、と思い席を立ち出口付近へ。幸いBandra駅は降りる人が多いらしく、下車困難にはならずに済んだ。

出て行く電車をよく見ていると一等車はガラガラ。まあ100円くらいなのであれば外国人である我々は、もし電車に乗るのであっても一等車に乗るべき、ということが今日の結論だな・・。

2011年3月11日金曜日

東日本の地震

日経の速報メールで、また東北に地震があったと知った。追信がだんだん入ってきて東京もけっこう被害があって、電車が全部止まっているのを知って、銀座でランチをしている妻が帰宅難民になるのが心配になり、連絡を取り始めた。
SMSを送っても返信がなく、携帯に電話してもつながらず。これはけっこうダメかと思って自宅の固定電話を鳴らすと出た。どうやら最寄り駅の一つ手前の駅でちょうど地震が来て、そこで電車が止まったので歩いて帰ってきたらしい。それから公立小学校に通う次女を迎えに行って帰ってきたところだった。長女は試験休みだけど図書委員で学校の図書館へ行っていてまだ帰ってきていない。学校に迎えに行かないといけないかもしれない、ということで一旦電話を切ってまたかけることにした。

こっちの昼休み、食事を終えてそろそろ帰ってるかと思い東京の自宅に電話するがつながらない。携帯にかけてもつながらない。だんだん被害状況がわかるにつれ電話がつながりにくくなっていく。95年の阪神大震災のとき、東京に居て実家の状況を電話で確認したことを思い出す。あの時は7時のニュースで見て電話したけど全然つながらず、仕方なく出社して会社から電話していたら9時前につながって無事を確認した。でもその後何日か全くつながらなくなったのだった。

自宅の番号や、妻、長女、次女の番号を順番に回しているうちにようやく自宅の電話につながる。どうやら長女を迎えに行って帰ってきたようだ。3人とも無事だったことを確認できた。ホッとする。

定時後渋滞の中を帰宅するクルマでSMSをすると、けっこうすぐ返信が返ってきた。どうやら携帯のSMSは状況良くなったようだ。帰ってTVをつける。NHKの見られないインドなので、CNNをやBBCをつけると、CNNは津波がハワイに来たとか、これから西海岸に津波がくるとか、津波の当事者としての視点。BBCはそういう心配がないからか日本の状況をずっと報道しており、こっちにする。

東京の自宅のインターネット回線はどうもないようで、Skypeでつなぐ。電話よりむしろ全然つながりやすくありがたい。大田区は電気もガスもちゃんと来ていて大丈夫なようだ。関東全体ではかなり停電があるようなので、23区は優先的に電気が送られている可能性が高い。

Facebookで友人たちの状況を確認すると、みんな何時間も歩いて帰宅したり、朝まで会社で過ごしたり、かなり大変。でもニコニコ動画やUstreamでNHK他のTVを流しているなど、色々情報を得る。こういうクチコミ情報が一番役に立つ。
BBCとフジテレビの二元中継で状況を確認。
その間も妻がSkypeで15分毎くらいに余震が来て、落ち着かない、と訴える。確かにそれは落ち着かない一夜になるよな。

明日また状況を確認するとして、今日は寝る準備に入るか。

2011年3月8日火曜日

Vodafone Indiaはさてマトモに使えるようになるか?

着任後2週間でようやく国内通話ができるようになり、1ヶ月で国際通話ができるようになったVodafoneだが、シンガポール出張ではやはり?国際ローミングはできず。
また未だにデータ通信はできない。
今日My Vodafoneからデータ通信の申し込みと、国際ローミングの申し込みをしてみた。さて使えるようになるでしょうか??

やっと現地法人からお金が・・・。

昨日Citibankの口座ができたので、取り敢えず金を振りこんでくれと会社に頼んだところ、着任手当分は払ってくれたようだ。インターネットバンキングで入金されていることを確認し、アパートの隣のStandard Chartered BankのATMへ。
問題なく引き出せた。良かったよかった。次はどこかでDebit Cardとして機能するかを試そう。

2011年3月7日月曜日

CItibankの口座がようやく・・・

着任してから1ヶ月余り、ようやくCitibankの口座ができた。
まだ着任手当も給与も振り込まれていないけど・・・。
1ヶ月以上日本の口座から下ろして、あるいは日本のクレジットカードでやっている。よくよく考えるとメチャクチャだな。
とにかく給与を振りこんでもらうように動こう。このままではシンガポールの出張費も請求できるのはいつやー?

Bandraのスラムで火事

今朝会社に良く途中、ドライバーがウチの近所のBandra駅のところのスラムで「先週末火事があった、ほらあそこがそれだ」という。シンガポールへ行っていて留守にしていたときのできごとのようだ。調べてみると「スラムドッグ$ミリオネア」の子役が被害にあったとか。幸い死者はなかったようだが。
実はまだ映画みてないんやけどね。

2011年3月5日土曜日

新しいところが続々できているシンガポール

シンガポール出張で土曜日まで居たので、新しくできたMarina Bay Sandsに行ってきた。カジノはまあどこでも一緒で、入場してすぐ出てまずはSky Parkへあがることにした。地下に降りてチケット売り場で入場料S$20を払う。なんとなくクアラルンプールのペトロナスツインタワーの地下のみやげ物売り場を思い出す。
上に上がるとオープンデッキになっていて気持ちいい。宿泊客はプールにも入れるらしい。バリとかのホテルみたいにプールが向こうへ落ち込んでいるように見える設計で、まるでシンガポールの街に向かってプールが落ち込んで行っているみたいに見えてなかなかの景色だ。アーバンリゾートという感じをうまく作っている。さすがにうまい。
クアラルンプールのHiltonも屋上が隣のメリディアンとつながっていて広ーいプールで気持ちが良いが、それを更に何倍も上回っている感じだ。

下に下りてからは今度は蓮の花のような形の博物館へ。S$30とこれも高いねー。チンギスハンやシルクロードなど、中国人(モンゴル人)がどうやって外に出て行ったかを学べる仕組みで、シンガポーリアンのIdentityにつながるように作っている感じがした。

まあしかしこんなものをどんどん建てて、シンガポールもようやるね。